私はasd(自閉症スペクトラム)の当事者です。

今回は、ASDの人によく見られる特徴の一つである「過集中」について書きたいと思います。
過集中(読み方:かしゅうちゅう)とは、自分の好きなことや関心のあることに没頭しすぎて、周りのことが見えなくなる状態のことです。

特に自分がしたいことに対しては、時間や疲労を忘れていつまでもやり続けてしまいます。

もしそれが勉強や自分の役に立つことであればいいのですが、私の場合は違います。

頭が異常に悪い(IQ60台)ので、いくら勉強しても身に付かない。
理解力や記憶力が皆無なので、勉強や学ぶことが苦痛になり、「やりたくない事」の枠に入ってしまっています。

逆に、ゲームや自分が楽しいと思ったことに対しては「やりたい枠」に入り、異常に執着するし、徹底的に追及してしまいます。

普通の人(定型発達)でも趣味や好きなことに対しては、時間を忘れて楽しむと思います。

asdの私の場合は、ほどほどとか、これくらいで辞めるべき、などの線引きが無く、可能な限り行ってしまいます。

なぜこのようになってしまうのでしょうか。

発達障害のasdの特徴である、視野の狭さ(興味の限定)、こだわりなどが関係していると思われます。
あと、想像力の欠如も。

ただ、大人になってから過集中の傾向は、子供の頃に比べれば低くなっている気がします。
100%が85%くらいに下がったくらいです。

それでも没頭具合は、健常者以上にあるとは思います。

今回は、asdの大人や子供の過集中について書いていきたいと思います。

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asdの過集中について

過集中とは、自分が興味を持ったことや好きなことに夢中になって、他のことに注意が向かなくなる状態です。
過集中すると、時間の感覚や疲れを忘れて、自分の世界に入ってしまいます。

過集中は、自分の能力や情熱を発揮するチャンスでもありますが、生活や人間関係に影響を与えるリスクもあります。

asdの子供の過集中とは

asd当事者の私の、子供の頃の過集中の記憶としては、ファミコンがあげられます。
小学生の頃だったと思うのですが、学校へ行っている時間と寝る以外は常に家でファミコンをやっていました。

そのファミコンのソフトも1回クリアしたものを何度も何度も繰り返しプレイしていました。
あまりにもやりすぎて、最終的に母親にファミコンのアダプターを隠されてしまいました。

ですが、あまりにもファミコンをしたくて禁断症状が出ていました。
ファミコンのアダプターを隠されたことに、怒りが湧いて泣き叫んでいた記憶があります。

もともと頭が異常に悪くて、学校の成績も最底辺だった為、仕方がないと思います。
しかし、勉強しても一向に理解できないし、学べないのです。
その結果、学習に対する過集中にはなれなかったのです。

ただ、自分が一度やると決めたことに対しては、asdの過集中は働くと思います。
高校卒業後、専門学校を2日で辞めて、1年引きこもり、そして1年予備校に通いました。

勉強が元から異常に出来ないバカではありました。
でも大学へ行くという目標を立てた結果、嫌々ながらも勉強以外の事を1年間しませんでした。

過集中とは少し違うと思います。
私の勉強においては、時間を忘れて没頭するものではなかったからです。
熱中はできていないけど、仕方なく頑張るという感じです。

ただ、継続して1年勉強以外の事に関心を向けないasdの何かしらが働いたような気がします。

しかし、1年間一所懸命勉強しても、偏差値42くらいのFランク大学しか行けませんでした。
しかも、受験科目は数学と英語のみ。

私は生まれつきの発達障害ASDに加え、さらに全IQ(70)以下という異常な頭の悪さ。
理解力が異常に低く、想像力が欠如しているので、頭の中で考えるのが非常に苦手です。

仮に、勉強に過集中が働いたとしても、学習力が低すぎるので、効果は薄いでしょう。

一般的にasdの子供の過集中は以下のような状態があります。

自分の興味のあることに対しては、集中力が高く、細かいところまで気がつきます。しかし、興味のないことに対しては、集中力が低く、注意が散漫になる。
自分の興味のあることに対しては、時間や場所を忘れて没頭します。しかし、興味のないことに対しては、時間や場所に敏感になります。
自分の興味のあることに対しては、周りの人の声や動きに気づきません。しかし、興味のないことに対しては、周りの人の声や動きに敏感になってしまいます。
自分の興味のあることに対しては、自分のペースでやりたいことをやります。しかし、興味のないことに対しては、他人のペースに合わせることが苦手です。

これらの状態は、asdの子供にとっては自然なことですが、周りの人にとっては不自然に見えることがあります。
例えば、学校では、先生の話を聞かなかったり、友達と遊ばなかったり、授業についていけなかったりすることがあります。

また、家庭では、親の言うことを聞かなかったり、兄弟と喧嘩したり、家事を手伝わなかったりすることがあります。

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asdの大人の過集中とは

大人になるとasdの過集中はどうなるのでしょうか。

私の場合、30代くらいまでは子供の頃の過集中とほぼ変わらなかったと思います。
自分の好きな事ややりたいことに対しては、限界までしてしまっていました。

しかし、40代半になった今現在、以前ほどの情熱や、時間を忘れて熱中することは無くなったと思います。
ただそれでも1~2割程度マシになったくらいです。

未だに自分が楽しいと思ったり、したいことに対してはリミッターが外れます。

発達障害のasdの症状は、今現在、治ることは無いとされています。
確かに、想像力の欠如やこだわり、聴覚過敏、その他もろもろの特性は、子供の頃と何ら変わっていないと感じます。

それでも、5~10%くらいはマシになったとは思います。
それは、脳の問題が治ったのではなくて、単に年齢による知識や経験が蓄積された結果だと思います。

一般的にasdの大人の過集中とはどんなものがあるのでしょうか。

過集中の対象が変わる

asdの大人は、子供の頃に過集中していたことに対して、興味や関心が薄れたり、飽きたりすることがあります。その代わりに、新しいことに過集中することがあります。

例えば、子供の頃はゲームに過集中していた人が、大人になってからはプログラミングや音楽に過集中するというようなことです。
これは、自分の成長や環境の変化によって、自分の興味や関心の対象が変わることがあるからです。

過集中の程度が変わる asdの大人は、子供の頃に比べて、過集中の程度が低くなったり、高くなったりすることがあります。

例えば、子供の頃は時間や場所を忘れて過集中していた人が、大人になってからは時間や場所に気をつけるようになる。
また逆に、子供の頃はほどほどに過集中していた人が、大人になってからは時間や場所を忘れて過集中するようになったりするというようなことです。
これは、自分の責任や義務、目標や夢などによって、自分の過集中のコントロールが変わることがあるからです。

過集中の影響が変わる asdの大人は、子供の頃に比べて、過集中の影響が大きくなったり、小さくなったりすることがあります。

例えば、子供の頃は過集中しても、親や先生などにフォローされたり、許されていました。
しかし、大人になってからは過集中すると、仕事や家庭、人間関係などに大きなトラブルや損失を招いたりするというようなことです。

自分の立場や役割、期待や評価などによって、自分の過集中の影響が変わるのです。

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まとめ

この記事では、発達障害のASDの人の過集中について書いてきました。

ASDの人の過集中は、自分の興味や関心に応じて、集中力や能力を発揮することができます。
ですが、同時に、日常生活や人間関係、健康に支障をきたすこともあります。

休憩を挟まなかったり、自分の体調の限界まで頑張ってしまうことがあるので、注意が必要だと思います。

私も気づいた時には、過集中の影響から、目の網膜に穴が開いてしまい、レーザー手術を受けました。
また、足腰の状態も悪くなりました。

asdの熱中度は猪突猛進というか、それ以外はどうでもよくなり、時間を割きたくなくなります。

勉強や自分の為になる事にASDの過集中が働けばいいのですが、私のようにゲームや趣味など、好きなことに働くと無意味です。
人生の時間を多大に無駄にしてしまいます。

もし、ASDの人が過集中によって時間を無駄にしているのであれば、周囲の人がサポートしてあげて欲しいと思います。

説得というか、論理的な言葉で気づかせてほしいです。

この記事では、私自身が発達障害のASD(自閉症スペクトラム)の当事者として、過集中という特徴について、自分の経験や感想を書いています。
これはあくまで私個人の見解であり、他のASDの人の過集中とは異なるかもしれません。

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