
最近、もう目がかなり不味いことになっています。
眼のふちの当たりの結膜炎が悪化が末期的かもしれないです。
怖くて現実逃避をし続けているので、どのような症状なのかは調べていないのでわかりません。
病院へ行くこともできないので、放置し続けています。
たぶん、網膜裂孔の悪化、緑内障、白内障のいずれかは確実に大変な状態になっていると思われます。
昔、甲状腺機能亢進症になっている間に網膜裂孔のレーザー治療を行ったことがあります。
当時は左目だけだったのですが右目もいずれやって置いた方が良いと言われていました。
あれからもう10年以上経っているのですが、かなり手遅れに近い状態だと感じています。
私は子供の頃から両目ともに視力が低かったのですが、左目だけ特に悪かったです。
確か小学4~5年生くらいの時に、母親に連れられて市の病院へ行きました。
その時の視力は両目で0.6くらいだった記憶があります。
それでも私は眼鏡をかけていませんでした。
学校でも黒板がぎりぎり見えるか見えないかくらい。
両目のふちの当たりを強く押すと何故か見えるようになるので、それで何とかしのいでいました。
高校生の時に眼鏡を作ったのですが、それでも普段は全くかけませんでした。
授業の黒板の字がどうしても見えない時だけ一時的に使用していたのです。
そして、現在もずっと眼鏡をかけていません。
引きこもってPCの前にずっといる状態で、モニターから50cmも離れていません。
このような状態を毎日寝る以外は、23年以上続けていれば目が末期的になるのも当たり前です。
それでも私は眼鏡を全くかけることはありませんでした。
何故なのだろうか。
たぶん、「眼鏡を掛けたらもっと目が悪くなる」、「眼鏡を掛けたら普通じゃなくなる」、「眼鏡を掛けたら一生そのまま」というような思い込みが無意識にあったのだと思います。
これは、発達障害と関係があるかもしれないです。
障害年金の申請をする際、社労士に相談して診断書を書いてもらう際、過去の出来事を聞かれました。
その時に、自分では全く意味が無い「目が悪いのに眼鏡をかけていないで生活していた」という情報も一応伝えました。
障害年金の指標は、過去にどのような人間だったのかを書かなければなりません。
この眼鏡をかけていなかった情報は大した利点(欠点)にはならないと思ったのですが、そのことをしっかりと社労士の方は書いていました。
個人的には、発達障害なのにわからず人生がボロボロになったことを書いて欲しかったのですが、それは結果にはつながらないというようなことを言っていた気がします。
過去の成育歴の判断材料にもいろいろあるようです。
眼鏡をかけていなかったことがそれほど重要な材料だったのでしょうか。
確かに、おかしなこだわりだったと思う。
そして、眼鏡をかけていなかったことで、より目が悪くなった。
また、普段の生活で大体周囲がぼやけていた状態で何となくで生きてきたので、不便な問題を引き起こしたというのが関係しているのだろうか。
それが発達障害の眼鏡をかけなかった=人生が上手くいかなかった要因の1つ、と考えられていたのかもしれません。
そこで今回は、発達障害と眼鏡の関係性について考えてみたいと思います。
発達障害の子供は眼鏡をかけることを嫌がる?
発達障害がある子供は、メガネを付けることを嫌がるのでしょうか。
ASDの私の場合、眼鏡をかけることを極端に嫌でした。
冒頭でも書いた通り、「眼鏡をかけることによる目がもっと悪くなるのではないか?」という思い込みや、「眼鏡をかけている人」という普通でなくなる嫌さ、眼鏡をかけた時と外したときの視力の違いの違和感が物凄く気になっていたのだと思います。
今でもずっと眼鏡をかけていません。
視力は0.1以下なのに。
常に霧がかかったような、薄い白い幕が張られているような感じです。
この頑なに眼鏡を書けないのは、ASDのこだわりや感覚過敏・感覚鈍麻といった特性とも深く関係していると考えられます。
他にASDで眼鏡をかけるのを嫌がる理由としては、耳に圧迫感や目と鼻の間の抑える部分?の感覚の不快さがあるのではないでしょうか。
後は、眼鏡をかけることによる自己のイメージの変化が嫌だったり、他人の目の変化など、いつもの状況から変わってしまう恐怖があるのかもしれないです。
ADHDの人の場合は、ASDのこだわりや自己流などでは無く、集中力や自己管理の苦手さによる眼鏡をかけない習慣化の難しさがあると思います。
よく言われるのが、注意の持続が難しいという問題です。
眼鏡をかける・外すという行動自体が、普段後回しになったり、忘れてしまうことがあるのです。
・家を出るときに眼鏡を忘れる
・途中で外してそのまま置きっぱなしにする
・フレームのズレや曇りに気づいても調整しないまま放置する
などの管理の問題です。
後は、発達障害のASDにもADHDにも共通する感覚過敏もしくは鈍感さなどがあげられます。
眼鏡をかけていることが気になって集中できないとか、いつの間にか外して放置してしまう鈍感さなど。
いずれの場合も、眼鏡を使い続けることが難しくなる要因になるのです。
そしてもうひとつ、ADHDの人って、計画立てたり物事をちゃんと管理するのがすごく苦手なことが多いです。
眼鏡の度が合わなくなってもそのまま使い続けたり、壊れても「直すのめんどくさい」って放置してしまうなど。
そういうのが積み重なると、眼鏡そのものがストレスになってしまい、使わない傾向になるのかもしれないです。
まとめ
今回は、発達障害と眼鏡の関係性について考えてみました。
私のように眼鏡に対する拒否感があると、目が悪いのに眼鏡をかけないことがあります。
そしてその影響から、景色がぼやけて世界そのものが遠く感じるので、心が動くことが少なくなり、毎日がどこか味気なく感じてしまう。
メンタル面でも悪影響があるのかもしれません。
また、見えずらいので目に力を入れて見ようとして、目に負担をかけてしまい、もっと目が悪くなってしまう恐れもあります。
正直、誰かに強制的に眼鏡をかけろと言われない限り、自分で自然と眼鏡をかけることはできないです。
眼鏡をかけないことによるリスクをしっかりと教えられて、現実として受け止めて、言い聞かせられない限り。
一般的に、目が悪いのに眼鏡をかけないで生活すると、いろいろな面で少しずつ悪い影響が積み重なっていきます。
まず一番大きいのは、視力の低下が進みやすくなることです。
見えにくい状態を放置すると、目に余計な力が入ってしまったり、姿勢が悪くなったりして、さらに視力が落ちる悪循環に陥ることがあります。
それから、肩こりや頭痛、目の疲れといった身体的な不調も起こりやすくなります。
特に近くのものばかりを見続けていると、知らないうちにかなり目に負担をかけていることが多いです。
さらに、見えにくいことで周囲の情報が入りにくくなり、気持ちが閉じこもりやすくなる人もいます。
景色や人の表情、ちょっとした変化に気づけないまま日々が過ぎていくと、世界そのものがぼんやりして、感情も動きにくくなるのかもしれない。
そして、気づかないうちに生活の質を下げてしまうこともあるのです。
眼鏡をかけられないなら、コンタクトレンズという選択肢もあります。
実は昔、就職する前にメガネ屋でコンタクトを試したことがありました。
でも、強い違和感と目の痛みのような辛さがあって、とても耐えられませんでした。
結局、その場で「これは無理だ」と思って、諦めました。
私は重度の聴覚過敏がありますが、それと同時に感覚過敏もあります。
当時はまだ発達障害だとわかっていなかったので、なぜここまで不快なのか自分でも理解できなかった記憶があります。
もし、発達障害で眼鏡をかけることに躊躇っているのであれば、「かけた方がいい」と言いたいです。
目が悪くなるだけでなく、その他の目の病気の可能性も上げてしまうからです。
あと、前傾姿勢になったり、姿勢もめちゃくちゃ悪くなります。
そして、見えるはずの世界がずっとぼやけたままになってしまうのです。
私のような目の末期的な状況になる前に、どうか少しでも早く眼鏡をかけてほしいと思います。
将来の目の健康や精神にも大きく関わってしまうので…。
