
発達障害の種類は、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、LD(学習症)の3つだと思っていたのですが、実は違っていました。
世界での発達障害の枠組みには、ASD、ADHD、LDに加え、DCD(発達性協調運動症)、コミュニケーション症(言語症、語用論的コミュニケーション症など)、チック症、知的発達症(知的障害)が含まれていたのです。
しかし、日本の発達障害の区分では、ASD、ADHD、LDと、「その他これに準ずる脳機能障害」とされています。
では何故、世界と日本の発達障害の中身の定義が違っているのでしょうか。
コミュニケーション症は、ASDにもよく見られる症状なので、発達障害の概念の中に含まれているのは納得できます。
チック症も発達障害とはちょっと違うと思うのですが、脳の機能の問題から引き起こされるので、これも納得できます。
でも、知的障害は、発達障害の括りの中に入っているとは思いませんでした。
確かに、発達障害は脳の凹凸が原因でASDやADHD、LDなどの症状がみられるので、知的(IQ)の高低差に関係なくあります。
私のように全IQが67の軽度知的障害でも、知覚統合の値が異常に低いので、ASDの症状がでています。
ただ、IQに凹凸が無く、平均的に低い人(知的発達症)も、世界では発達障害の中の1つとされているのです。
これは、DSM-5(精神障害の診断・統計マニュアル 第5版)やICD11(世界保健機関 WHO による国際基準)によって、全部まとめて「神経発達症(発達障害)」として扱われいるからだそうです。
でも日本では、発達障害者支援法が施行される2005年までは、知的障害の人には、別の支援体制がありました。
なので、発達障害とは別の枠組みとして扱われ続けているのです。
発達障害の定義の違和感
発達障害と聞くと、日常で普通の人には無い困りごとを抱えている人、という印象だと思います。
その原因が脳の未発達や成長が難しいから、と私は考えています。
なので、コミュニケーション症、チック症、知的発達症、DCDも同じ条件なので、含まれていてもおかしくはないとは思います。
そして実際、訓練や早期支援によって改善する部分もあります。
例えばチック症は、ストレス環境から離れたり、行動療法を取り入れたり、薬物療法を併用することで症状が軽くなることがある言われています。
コミュニケーション症は、ASDの特性からくる症状ではない場合、早期の言語訓練や、日ごろからコミュ力を高める環境に身を置いていれば、ある程度は改善するのではないでしょうか。
知的発達症(知的障害)は、IQが成長する若い頃に徹底的に伸ばせる学習をするとか。
一番IQが伸びる5歳くらいまでに早期支援で、その子の持っている力を最大限まで伸ばせるようです。
でも、生まれ持った脳の遺伝的要因がかなり大きいので、どれだけ努力しても平均値に持っていくのは難しい。
このように「先天性」でIQがある程度決まってしまうので、発達障害と同様の枠に入るのかもしれないです。
DCD(発達性協調運動症)は、どうなんだろう。
ASDの私の場合、ただ単に走ったり動くような運動であれば得意だったのですが、球技となると変な動作になったり、非常に苦手だったのです。
ASDやADHDなどと併発しないDCDは、訓練や大人になるにつれて成長することはあるのだろうか。
一般的には、努力で改善できるけど、完全には克服できない。
苦手な部分自体は大人になっても残ることがあるようです。
このコミュニケーション症、チック症、知的発達症、DCDなどは、ASDやADHD、LDとの併存することがありますが、単独でも発達障害の1つとしてしまうと、個人的に違和感を感じています。
何故日本ではその他に準ずる脳機能障害になっているのか
日本の行政や法律などの歴史が関係しているようです。
日本では、医療の分類よりも制度としてどう扱うかの方が先に出来ていたので、世界の診断基準が変わってもすぐには構造を変えられなかった背景があるとのことです。
2005年の発達障害者支援法は「最低限の共通項」で作られた
発達障害者支援法が制定された当時、日本には
- ASD(自閉症)は支援が不十分
- ADHD(多動や不注意の子)は“しつけの問題”とされがち
- LD(読み書き困難)はそもそも認知されていない
- 知的障害はすでに完全に別枠の特別支援体制
- DCD やチック症は医療現場以外はほぼ認知されていない
- 言語発達症も「言語の遅れのある子」として別枠
世間の理解も制度の土台もめちゃくちゃバラバラだった。
そこで政府は、
まずは「ASD・ADHD・LD」の3つだけでも支援を確立しよう
という“必要最低限”の枠組みで法律を作った。
だから条文には
「その他これに準ずる脳機能障害」
という “曖昧な余白” を付け足すしかなかった。
当時は DCD やチック、言語症などを法律で分類するだけの知識も社会理解もなかったのです。
日本は「障害を種類別に扱う制度」が強く残っていた
- 身体障害
- 知的障害
- 精神障害
という 戦後の3区分の制度 が強固に残っていたため、発達障害を細かく分類すると制度が崩れてしまう。
たとえば
- DCDは身体障害?発達障害?どっち?
- チック症は精神障害?発達障害?
- 言語症は療育?発達?どっちの領域?
- 知的発達症はもう手帳制度がある
このように、細かく分類すると全部の制度が衝突・混乱してしまう。
だから政府は意図的に、
ひとまず ASD/ADHD/LD を明記し、
他は「準ずるもの」として後で調整する。
ようするに、制度を壊さずに新しい支援を追加するための妥協策。
医療は世界基準に近づいたが、制度は古い枠組みのまま
DSM5 や ICD11 は国際基準だから、医療はそれに合わせて
- DCD
- コミュニケーション症
- チック症
- 知的発達症
を同じ「神経発達症」として扱うようになりました。
ところが行政制度は世界基準とリンクしていない。
結果として、
- 医療:発達障害の範囲は広い
- 学校:困りごとに応じて柔軟に支援
- 行政:ASD/ADHD/LD の3つだけ
- それ以外:全部「その他に準ずる」
というねじれ構造(ミスマッチ)が続いてしまった。
「その他に準ずる脳機能障害」にすると便利だった
行政からすると、この表現はとても便利。
- DCD(不器用)
- 言語症
- チック症
- 境界知能
- まだ研究途上の脳機能障害
など、名前が付いていない特性を全部ここに入れられる。
法律で1つ1つ定義すると終わらなくなるので、
とりあえず “ASD/ADHD/LD と似た脳の発達の障害全て” をここに入れておく
という幅をもたせた表現にしておいたわけです。
日本は実証データがないものを法律に明記できない
世界では、
「発達由来なら全部まとめる」という理念
で制度を作るけど、日本は逆で
「支援の根拠となるデータが揃ったものだけ認める」
という文化が強い。
だから、データ量が少ない DCD やチック症は法律に明記できなかった。
結果的に「その他に準ずる脳機能障害」にまとめられた。
日本が“その他に準ずる”としている理由は
- 法律制定時(2005年)に社会理解が低かった
- 既存の障害制度(身体・知的・精神)の枠を壊さないための妥協
- 医学分類と行政制度がリンクしていない
- 将来のために曖昧な余白を残した
- DCD やチック、言語症は当時ほぼ認知されていなかった
この結果、世界とはまったく違う定義になってしまったのです。
まとめ
今回は、発達障害に含まれる症状について考察してみました。
発達障害の種類で真っ先に思い浮かべるのが、ASD、ADHD、LDなのですが、実は「その他に準ずる脳機能障害」というのもあったということです。
個人的な見解としては、発達障害=生まれつきの脳機能の凹凸があり、努力や経験値で成長が難しい、そして普通には追いつけない苦手な部分があるという定義です。
後は、あまり書くのはよろしくないのですが、「どう頑張っても普通にはなれない」、「どうあがいても変になってしまう」、「常に自分の問題を把握して意識して生きる必要がある」など、生涯にわたって自分と向き合わなければならない。
そんな種類の特性を抱えていることが発達障害の本質(定義)なのだと思います。
普通に合わせようと頑張るほど苦しくなったり、無理をするほど自分らしさが削れてしまったりするところに、特性としての根深さがある気がします。
だから、「普通に近づくこと」よりも「自分の扱い方を知ること」の方が必須なのです。
そして自己分析を徹底的にすること。これがマストとなります。
あとは、周りの理解や環境の調整が必要です、
発達障害は治すというより、「共に生きるもの」に近いのかもしれません。
なので、「その他に準ずる脳機能障害」がこれらの発達障害の生まれつきの問題と似通っている場合、その定義として含まれているのは当然なのだと思いました。
