向かいの家の人が怖い。怒鳴り声にビクビクしてしまう日常。

昨日もまた、向かいの家の人(おそらく60代くらい?)が、酔っ払って帰ってきました。
しかも、その人は毎回鍵を持たずに帰宅するようで、玄関のドアが開かないと大声で「おーい」と呼びかけたり、ドアをバンバンと叩いたりします。小さな怒鳴り声のようなものも混じっていて、それが本当に怖いのです。

この光景は、週に2〜3回は繰り返されます。

ちなみに、向かいの家には何故かチャイムがなく、ノックで呼びかける方式です。
新聞屋さんの集金のときも、チャイムがないため掛け声やノックの音が部屋中に響いてきます。さらに、その家は通販をよく利用されているようで、配達員の方の訪問時も似たような声や音がします。

こんなどうでもいい日常的な騒音や怒りのような声に、私は毎回ビクビクしてしまいます。
自分が責められているわけではないと分かっていても、心と体が勝手に「危険だ」と反応してしまっているのです。
この感情は一体何なのでしょうか。

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HSP+ASDの感情に飲まれる特徴:他人の怒りが自分のことのように感じる理由

なんで私は日常の出来事に対して、自分だけこんなに怯えてしまうのか。
気になって調べてみたところ、HSP気質にかなり当てはまっていました。

私の場合、父親が非常にメンタルが弱く、それがそのまま私にも遺伝しています。さらに、ASD(自閉スペクトラム症)も同様に..。
そして育った環境も地獄みたいな家庭環境だった。

その結果、生まれ持ったHSPとASD+家庭環境の悪影響により、他人の怒りに過剰反応するトラウマ脳になってしまったようです。

そして、気がつけば23年以上の引きこもり生活を送り、自己肯定感はマイナスで限界突破(カンスト)、劣等感にまみれた状態になっていたのです。

私は他人の「怒り」や「強い声」「大きな音」といった負の感情や刺激に、必要以上に過剰反応してしまいます。

それは単に「驚く」とか「怖がる」といったレベルではなく、心と体が一瞬で“危険信号”を感じ取り、過去のトラウマや恐怖体験がフラッシュバックするような感覚です。

たとえば、怒鳴り声を聞くと私の脳は自動的にこう反応します。

「これは危険だ」
「自分が怒られている」
「逃げなきゃ」

…と。

頭では「自分には関係ない」と理解できているつもりでも、身体はすでに「危険信号」を出してしまっている状態。

具体的には、心臓がドクドクして、身体がこわばり、冷や汗が出て、呼吸が浅くなる。そこまでの強い反応が出るのは稀ですが、向かいの家の酔っ払った怒り声や物音に対して、トラウマレベルのストレスを感じている状態であるのは間違いないです。

HSP+ASDという組み合わせは、ほんの些細な刺激でも「心の地雷」として反応してしまう状態。
誰かが本気で怒っているわけではなくても、こちらの心はすでに「攻撃された」と感じてしまうのです。

トラウマ や過去の環境による条件反射:怒りに対する“身構え”が染みついている

私の中には、昔から一貫して「怒っている人が怖い」「怒り=自分が悪い」という感覚が染みついています。

この思い込みは、生まれつきのHSPの性質だけでなく、幼少期からの繰り返された辛い体験の末路だと思います。
「怒りの声=自分が責められる」「大きな音=危険が迫っている」といった条件反射的な反応が、心と身体に深く刷り込まれてしまっているのです。

これはパブロフの犬という原理だそうです。
犬がベルの音を聞くだけでヨダレが出るように、私の脳も怒りの声や強い音を聞くだけで、「自分が悪い」「謝らなきゃ」「怖い」といった反応を勝手に起こしてしまう。

冷静に考えれば、向かいの家の酔っ払いの怒鳴り声は私に向けられたもので全くありません。
でも、脳は過去の経験に基づいて、「また怒られる」「また何か自分が悪い」と自動的に解釈してしまう。

**過去の環境が生み出した“心の自動装置”**のようなもので、本人の意識とは関係なく作動してしまうようです。

ASD的な“曖昧さ”への過剰な不安反応:怒りの空気が読めないから、怖さだけが増幅する

ASDの特性のひとつに、「曖昧な状況や情報に対する不安の強さ」があります。
私も例外ではなく、曖昧な物事や説明されていない感情の変化に、強い不安を感じてしまいます。

怒鳴り声や大きな物音というのは、その点でとても厄介です。
それがどれくらい怒っているのか、誰に向けた怒りなのか、そもそも怒りなのか冗談なのかが分かりにくいからです。

普通の人なら「酔っ払いが騒いでるだけでしょ」と受け流せるのかもしれません。
でも私にとっては、その情報が曖昧すぎてわからず、「不安」と恐怖が襲ってきてしまいます。

怒鳴り声という“強いけど雑な刺激”は、ASDの私にとってまさに地雷。
相手の意図を読み取れないまま、「これは自分が怒られているのでは?」「何かしてしまったのでは?」という強い感情?が襲ってくるのです。

・脳内の様子

  • 音に対する警戒レベルが常にMAX(聴覚過敏)
  • 曖昧な怒りの情報に対して、自分のせいだと自動的に解釈してしまう(ASD的な誤認)
  • 他人の感情に過剰に巻き込まれる(HSP的な共感過多)

この“トリプルコンボ”があるせいで、向かいの酔っ払いの怒りが、まるで「自分専用の警報アラーム」のように、毎回脳内に流れ込んできてしまうのです。

ASDとHSPは共存する:共感性の違いと交差点

よく「ASDの人は共感性が低い」と言われます。
たしかに、ASDの特性として**相手の考えや気持ちを読み取る力(認知的共感)**が弱いことはあります。

でも、「共感できない」「冷たい人」というわけではありません。

実際に、ASDの人にも**「情動的共感(相手の感情に巻き込まれる力)」がとても強い人**がいます。
私もまさにそのタイプです。

「認知的共感」と「情動的共感」のちがい

  • 認知的共感:相手が何を考えているのかを論理的に想像する力
  • 情動的共感:相手の感情に反応して、自分の心も動く力

私の場合、誰かがなぜ怒っているのか、どういう背景があるのかはよく分かりません。
でも、怒っている“空気”や“雰囲気”には、ものすごく敏感に反応してしまうのです。

「意味はわからないけど、空気に圧倒される」
「感情の理由は分からないけど、苦しくなる」

という状態。

HSPの人は共感性が高いとされていますが、それは「情動的共感」が強いという意味で、ASDの人と一部重なる部分があります。

私が感じているHSP的特徴(典型的なもの)

  • 音に敏感(特に怒鳴り声やノック音など)
  • 他人の感情を“自分のこと”のように受け取ってしまう
  • 突然の大きな声や怒りに、必要以上に過剰反応してしまう
  • 常にビクビクしているような精神状態

ASDとHSPは別の概念でありながら、感情的な刺激への敏感さという点では重なり合う部分があります。

私のようにASDとHSPが共存している人間にとっては、怒鳴り声や雑音が本当に“脳への暴力”のように感じるのです。

まとめ:怒鳴り声は“自分専用のアラート”として届いてしまう

私の脳はいつの間にか「怒りの音=危険信号」として自動的に反応するようになってしまいました。

向かいの家の酔っ払いの怒鳴り声。
玄関をバンバンと叩く音。
配達員や新聞屋のノックの声。

これは他人同士のやり取りであり、私に直接関係のないはずのものです。
でも、私の心と体は、「自分への攻撃や不快な刺激」として受け取ってしまう。

私の中では、

  • HSP的な感受性の強さ
  • ASD的な曖昧さへの不安感と過剰な自己責任感
  • 過去のトラウマによる条件反射

この三つが複雑に絡み合い、「怒鳴り声=私が悪い」という結論に自動的にたどり着くようになっています。

頭では「違う」と分かっていても、心が勝手にそう感じてしまうのです。

ところで、向かいの家のあの主人は、なぜ毎回鍵を持たずに帰ってくるのでしょうか?
かなりの頻度で酔っ払って帰宅しているし、あの騒ぎがもう何年も続いています。

鍵が壊れているのか、チェーンが掛かっていて入れないのか、それとも単に忘れているのか……。

正直、深夜に独り言を言いながらフラフラ歩いてくる様子は、気持ち悪いし不快です

ただでさえ私は、引きこもりの負い目で近所の人にどう思われているか不安なのに・・・。
だから、近所の負の感情を私が強く受け取ってしまっているのだろうけども。

こうして毎日怯えながら、存在を隠すように暮らしているのも本当に異常だと思う。
でも、その環境が普通であって、耐えてしまうのもASDならではの忍耐なのかな、とも思います。

・・・そう思いながら、今日も静かに生き延びています。騒がしい世界の中で、せめて自分の心くらいは守っていたい。

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