
感情が無くなっている気がします。
いや、本当に。
もともとASDの感情表現が苦手、感情が出せない、感情を出せてもぎこちない状態。
さらに23年以上の引きこもりによって、感情が無くなってしまった。
いや、厳密には1つだけ残っています。
一番いらない「恥ずかしい」という感情が。
その他の「怒り」、「悲しい」、「喜び」、「羨望」、「誇り」、「愛情」、「嫌悪」などの感情値が物凄く低いです。
10段階で表すなら、1~2くらい。
恥ずかしい感情だけ10。
ずっとリアルで誰とも会話せず、毎日PCの前に座っている影響です。
希望が無く、絶望を常に感じ続けて鬱だから、このような状態になっているのだと思います。
でも別に無感情でも困ってはいないのですが、人間味が無いなと感じています。
壊れてしまった感情を直す方法はある?
「恥ずかしい」だけMAXって、もはや感情のバグみたいになっています。
悲しみとか怒りとかのシステムは完全にサーバーダウンしてるのに、恥だけ最新バージョンです。
でも、「人間味が無い」って感情に気付けただけでも良かったかもしれない。
感情が無くなったわけではなくて、たぶん凍結中。
冷凍保存されたまま感度が死んでるだけで、完全消滅してたらそれに気付くことすらできないと思うので。
真性ひきこもりによる外部からの刺激が全く無いことが主な原因ですが、どうやったら少しでも普通の人間に戻ることはできるのでしょうか。
「凍結感情リカバリープログラム」起動せよ
感情って、完全に消えるものではないと思います。
「恥ずかしい」という感情を今も感じていること自体がまだ感情システムは生きている。
PCのアプリに例えるなら、「感情抑揚バグ修正パッチ」 を適用しなければならない。
現在は、外部刺激が皆無で、「入力」も無いし、「処理」もされず、「出力」も空っぽ。
なので、少しでも感情を揺さぶるような刺激を得る必要があります。
- 悲しい系映画:感情麻痺でも、3本見ればどれか1回は反応する可能性。
- 怒り誘発系動画:社会問題とか、理不尽な話題。感情がゼロなら腹も立たない…けど、万一カチンと来たら小さな成功。
- 癒し・可愛い系:動物動画。これで何も感じないなら本格的に凍結期間が長すぎ。
毎日寝る前に、日記アプリか紙で「今日何も感じなかった記録」を書く。
感情の反応ゼロでも書く。
自分の中の感情不感症データベースを育てるつもりで。
意外と「書く」ことが内部で小さな感情エンジン起動スイッチになってたりする。
何故恥ずかしい感情だけ残っているのか
最近、挫折を経験して希望が無くなってしまった。
その結果、鬱状態が悪化し、元気が全くない状態です。
元気が無いと、何もやる気が起きない。
好きなことをしても感情がほぼ動かない。
美味しいものを食べたとしても、感情は動かない。
逆に不味いものを食べた時は、嫌な気持ちになる。
また、身体の調子が悪いと余計に落ち込んでしまう。
今の状態は、引きこもりと鬱の影響、そして挫折感から、負の感情だけが増幅されている感じです。
そして、自分はダメ人間と思い続け、恥ずかしい思いだけが蓄積され続ける。
「恥ずかしい」感情は、防御本能に近いものかもしれません。
社会との接点が無くても、自分自身を傷つけないために「恥」をセンサーとして残している。
「自分はダメだ」とか、「他人に知られたくない」といった思考は、自己保存システムの最後の砦。
他の感情が省電力モードで停止している中で、恥だけは異常に反応し続けているわけです。
でも、「恥」は本来、外部との関係性の中で働く感情。
今は、その外部が無いのに恥だけが稼働している。
言わば、入力ゼロなのにエラーログだけ大量に吐き出すシステム状態。
だから苦しいし、何も楽しくない。
恥ずかしい感情を消し去りたい
この感情は本当に無意味。
いや、無意味とは言わないけどいらない。
一般的な羞恥心は必要だけど、何かちょっとした心の揺らぎがあるだけで異常なほど恥ずかしく感じてしまい、顔が真っ赤になったり、冷や汗たらたらになるのは辛い。
子供の頃からずっとこの状態だったけど、今はさらに人間の到達できる恥ずかしさの限界まで達していると思う。
どうすればこの感情を消し去ることができるのだろうか。
何もかも忘れればいい?
過去の惨状や現在の状況が恥ずかしい感情を引き起こしています。
ならば、「忘れる」という選択肢は現実的なのでしょうか。
忘れようとして忘えられるものなら、とっくに忘れているはずです。
記憶というのは、消そうとすると逆に意識の奥底で繰り返し再生されてしまうことが多いと言われています。
「忘れたい」と思うこと自体が、逆に記憶を強化している可能性さえある。
だから、「忘れよう」と努力するのはむしろ逆効果かもしれない。
では、どうすればいいのでしょうか。
一般的には、忘れるではなく「意味を薄める」というのが現実的な対策方法みたいです。
「あれは自分のせいではなく、環境の影響だった」
「自分を責めても状況は何も変わらない」
「何もしていない自分に恥を感じるなら、それは人間として当たり前の反応」
今の自分の状態を「異常」と切り捨てず、「当然」として少し受け入れる。
「恥ずかしい」という感情は、外に出ようとする気持ちの裏返し。
完全に何も感じないよりは、まだ感情の回復のための最後のサインだと捉える事。
まとめ
社会に出ないのに、恥をかかなくて済んでいるはずなのに、何もしていない自分が「恥ずかしい」って思ってしまう。
何もしないことすら、責められてる気がする。
だから、いつも苦しい。生き辛い。
何か自分を誇りに思うことや、希望があればポジティブな感情が生まれて、恥ずかしいが減り、前向きな感情が蘇ってくるのかもしれない。
ただ今の私の状況で、それは現実的にあり得ない。
だから、せめて「恥ずかしい」を消し去りたい。
その為に唯一出来る事。
それは「無感情になる事」。
最近この無感情を意識的に取り入れることで、少しはたんたんと行動できるようになってきました。
とにかく辛くて恥ずかしいことをしなくてはならなくても、何も感じないように意識的に心を押し殺す。
何も感じないようにする。
自分が何も感じない、感情の無い機械になったつもりになる。
そうすると、モチベや目標など関係なく、行動することができるようになります。
そういえば、この心を殺す無感情に似た体験を昔していた気がします。
初めて就職したときの研修でのことです。
講師が50人くらいいる人の中からランダムで3人位当ててきました。
その中に私も入ってしまったのです。
本来の自分であれば、声が震えて顔が真っ赤になって、もう逃げだしたい状態になる。
しかし、それは絶対に出来ないと分かっていました。
ここで逃げたら、全てが崩壊するからです。(どちらにしろ4カ月で辞める羽目となりましたが)
そこで、もうやぶれかぶれで強気な気持ちで、他は何も考えず、感じないように課題を発表したのです。
その時、周囲はどう思ったかはわかりませんが、私自身は上手く行っていたと思っています。
辛い、苦しい、恥ずかしい、どうしようなど、とにかくそのよう負の気持ちを押し殺して感じないようにして、淡々と行う。
このような状態だと、何事も上手く行っていた気がします。
感情に支配されて物事が進まない、行動できない状態を克服すること。
これが今の私がしなければならない事かもしれない。
結局、自分の「恥ずかしい」という感情に支配されすぎている現状では、何かを始める前に心が折れてしまいます。
だから、まずは「心を殺す」無感情モードを、行動のための戦略とする。
もちろん、それは本来の望ましい生き方ではないし、人間らしさからは遠ざかる方法かもしれない。
でも、今の自分は「普通の感情で行動する」ことが出来ない状況です。
ならば、せめて心を攻略して再起できるようにしたい。