
私は、いつも自分よりも他人を優先してしまいます。
全ては、人から嫌われたくないという強い想いがあるからです。
どんなに自分が損をしても、人からよく思われたい、役に立つ存在だと思われたい。
いや、さすがにそれは言い過ぎかもしれませんが、自分にとって相当マイナスにならない限りこのような思考になってしまいます。
何故このようになってしまったのでしょうか。
2つ理由があります。
1つは、いつもの発達障害の影響によって人から嫌われ続けたから。
自己肯定感や自尊心が低く、誰かに受け入れてもらうためには「役に立つ存在」でいなければならないと感じているからです。
「他人の期待に応えること」が、自分の存在価値を証明する手段になってしまっていました。
自分の気持ちよりも、相手の気持ちを優先する。
自分の都合よりも、相手の都合を優先する。
無理をしてでも、誰かの役に立ちたい。
なぜなら、そうしないと「見捨てられる」「嫌われる」と感じていたからです。
もう1つは、母親からの遺伝や家での様子を見て育ってきたから。
母親もまた、自分よりも他人を物凄く優先する人でした。
例えば、貧乏な5人家族だったため、ご飯が足りない日がよくありました。
そして、私はそれに気づかずに何度もご飯をおかわりしてしまいました。
母親は自分の分を私に隠れて分け与えてくれていたのです。
当時は小学生くらいだったので気づけず、今思うと本当に心苦しいです。
今では80代になり、かなり痩せ細ってしまっています。
ご飯はちゃんと食べているみたいだけど、当時の影響があるのではないかと申し訳なく思っています。
また、貧乏なのに自分の貯金から、数万単位で何度も寄付を赤十字(多分それ以外の機関にも)に行っていたことです。
恵まれない子供や、海外の子供に対して、自分が出来ることを精一杯やる人。
そして、何度か赤十字から寄付のお願いという手紙が来ていたのを見たことがあります。
母親が自分の為にお金を使ったことを見たことが無い。本当に。
洋服とか生活必需品ですら、結婚して以降、自分のために服を買ったことは一度もないと思います。
いつも50~60年くらい昔の服を今もずっと着ている。
それでも家族や他人の為に尽くす。
何故このような人格、性格なのだろうと不思議に思います。
また、中学生くらいの年齢の男が喧嘩している場面に遭遇したらしく、それに止めに入り逆に暴力を振るわれて怪我をして帰ってきたこともありました。
父親が浮気をして、一方的に離婚届を押し付けられた時も子供のためを思って我慢し、離婚をしませんでした。
そういう姿を見てきたので、私も我慢や「自分を押し殺してでも誰かのために尽くすことが正しい」と思い込むようになってしまったのかもしれない。
でも私の場合は全く関りや知らない人まで自分より他人を優先することはできない。
本物の「自分より他人を優先する人」は、どのような人に対してもそのような思考になっています。
自分より他人を優先する人は病気?
純粋に誰に対しても分け隔てなくそのような行為が出来る人は病気ではないです。
でも私の場合、確実に精神の病気から引き起こされた状態です。
心理学の視点では、自己犠牲やイエスマンのような振る舞いは、承認欲求の強さや自己肯定感の低さと関係していると言われています。
例えば、発達障害の特性や幼少期の家庭環境が影響して「役に立たなければ存在を認められない」と思い込んでしまうこともあるようです。
医学的に言えば、依存やアダルトチルドレン的特徴となっています。
なので精神の問題(病気)からくる「過剰な自己犠牲や他人優先の思考」が根付いてしまっているのだと思われます。
自分より他人を優先する診断プログラム
このセルフチェックプログラムは、あなたが「どれくらい自分より他人を優先してしまうのか」を簡単にテストします。
10個の質問に答えることで、あなたのタイプを知ることができます。
直感で一番近いと思う答えを選んでみてください。
*このチェックは参考のためのものであり、公的な診断や医療的評価ではありません。
結果はあくまで目安として受け止め、自分を知るきっかけにしてください。
自分より他人にお金を使う
私は母親のように、全く知らない人に寄付やお金を使うことは難しい。
特に寄付は絶対に中抜きがあったり、怪しさがあると思っています。
以前、台湾が日本の地震で多額の寄付金が集まり、直接手渡ししてくれたことがありました。
台湾では、日本への寄付が正しく届けられるかを強く気にする声もありました。
実際、台湾の外交部(外務省に相当)の代表団が訪日し、日本政府関係者に目録を直接手渡した記録があります。
これは「中抜き・不透明さ」を避け、誠意を示す意味合いが大きかったとされています。
なので、寄付というものの透明性が気になってしまい、知らない人や団体に対しては躊躇してしまいます。
少しでも関わり合いがある人に対しては、無意識に自分より他人が発動しますが、このように曖昧だったりするとそうならない。
多分、ASDの完璧主義や、曖昧さへの耐性の低さも関係しているのだと思います。
自分より他人の長所・短所
自分よりも他人を大切にするメリットやデメリットについて。
個人的には、ほぼデメリット(短所)しか存在しないと思う。
何故かというと、気を使い過ぎる、損をする、都合の良い人扱いされるなど、精神の消耗や物理的損失があるからです。
逆に、メリットが自己満足しかない。
もしくは少し他者に対してよく見られる(侮られる)くらいでしょうか。
他人を優先することで、表面的には優しい人や気配りができる人と思われるかもしれない。
でも、その裏では、自分の気持ちや本音を押し殺している。
気づけば、自分が何をしたいのかもわからなくなってしまう。
それに、都合の良い人間だと認識されると、だんだん人は感謝すらしなくなる。
やってもらって当然、断れば冷たい、そんな扱いを受けるようになる。
そしてそれがさらに「嫌われたくないから断れない」という悪循環に繋がる。
それでも他人を優先してしまうのは、ある意味、自分を守るための戦略でもあるのだと思います。
好かれることで、拒絶されないように。
必要とされることで、存在してもいいと思えるように。
まとめ
今回は、「自分より他人を優先する」について考えてみました。
私の場合は見せかけの忘己利他です。
演じているだけなので、違和感があり、簡単に見破られるし、「そういう人なんだ」と思われてしまいます。
でも、本当に自分より他者に親切が出来る人は、たとえ見返りがなくても、たとえ相手が誰であっても、自然にそれができてしまう人です。
しかもそれを誰にも誇ることなく当たり前のかのように。
このような人が世界にたくさん、というか大多数になれば素晴らしい世の中になるのではないかと思っています。
けれど、現実にはそういった人は稀です。
政治でも利権が蔓延っていたり、ニュースで事件や事故などを見るたびに悲しくなる。
ならば子供の頃から道徳教育でそうなるようにすればいいのでは、と思ったりもします。
でもこれはASDの極端思考。
物事を「こうあるべき」と強く思い込んでしまう。
白か黒か、正しいか間違っているか、損か得か。
そんな感じで曖昧さや「どっちでもいい」みたいなグレーゾーンが許せない。
だから、自分が他人を優先する演技も、「優先する or 優先しない」みたいな0か100の思考に自分で自分を追い込んでいるのかもしれない。