
発達障害が「普通」と呼ばれる未来はくるのでしょうか。
現在は発達障害の人が少数派で辛い状況です。
でも、将来的に大多数の人が発達障害になっている未来が現実になる可能性があります。
実際、アメリカでは自閉スペクトラム症(ASD)と診断される子どもの割合が、2000年には約1.2%(1/150人)だったのに対し、2020年には約2.3%(1/44人)にまで増加しています(CDC調査)。
また、ADHDの診断率も1970年代には1%未満でしたが、現在では10%を超える水準に達している国もあります。
日本でも、厚生労働省の調査によると、医師から発達障害と診断された人の推計は、2016年の約48万人から2022年には約87万人へと、6年間でおよそ1.8倍に増加しています。
統計的にも発達障害の割合は確実に増えていますし、その流れは止めようがないです。今後も続きます。
そして、社会の中に発達特性を持つ人が当たり前に存在する時代がくると思うのです。
今は発達障害の人に対する支援やサポートも少ない状況だけれど、将来はより多くの人が発達特性に関わる課題を抱えます。
その結果、発達障害が当たり前の世の中になる事で、それに対応した世界に変化していく。
発達障害が普通という世の中。
かなりカオスで大変な状況だと思うけど、人類は順応できる生き物なので大丈夫だと思う(多分)。
発達障害は遺伝的要素が強いですし、現在の医学では治すことはできないです。
そして、発達障害の人が親になり、またその子どもに遺伝していく。
私の父親はASD(自閉スペクトラム症)で、母はADHD傾向のグレーゾーンでした。
片方でも発達障害の傾向があると、その子どもに遺伝する確率はかなり高くなります。
さらに、晩婚化や食品添加物、農薬、大気汚染、地球環境の悪化といった現代の要素も、発達障害の発症率を押し上げている要因だと感じています。
統計的にも、発達障害の診断件数は増加傾向にあります。
なので、発達障害の遺伝子を持った人が社会にどんどん増えていく未来は、ある意味止めようがない流れなのです。
そして、これは脳の構造や神経伝達の問題であり、現在の医学では何百年先でも完全に治すのは難しい。
結果、将来は発達障害の人が標準となる。
そんな人たちが標準になる日が来たらどうなってしまうのか。
今回は、発達障害だらけになった未来について考察してきたいと思います。
発達障害の人だらけの世界はどうなるのか?
発達障害を悲観的に思ってしまうのは仕方が無いです。
実際、現代を生きるのは難しすぎるハンデです。
でも、その生きづらさの中にも、希望はあります。
アインシュタインやイーロン・マスク、他にも過去に世界を動かしてきた多くの天才は、発達障害の特性を持っていたとされています。
なので、発達障害の中には、並外れた才能や集中力、独自の視点を持っている人が多く、その能力が極端に高い。
そして、環境に恵まれた場合には、社会で大きな成功を収めることができるはず。
そんな発達障害の人が大多数を占める未来は、もっと進化するのではないでしょうか。
もちろん発達障害があると、ギフテッドやIQが高い人以外の人生の成功はかなり難しいと思う。
でも、発達障害の人が大多数になることで、将来は社会のルールや支援、制度が見直されて弱者も生きやすくなるはず。
発達障害が多数派になることで価値観は変わる
今は定型発達の人の社会ですが、発達障害の人が多数派へと移行したとしたら。
当然、社会全体の価値観も大きく変わることになると思います。
今まで発達障害の人に対する、変わっているとか空気が読めないとされていた行動や思考が、標準になるのです。
社会の設計そのものが、発達障害の特性に寄り添ったものに変わっていくこともあり得ると思います。
でも、発達障害が生きやすいというわけではないです。
私自身、ASDとして生きてきて、空気が読めない、想像力が低すぎる、常に頭の中が空虚で、感覚過敏などの症状が大変です。
ADHDの方も同様に、注意力の持続が難しかったり、衝動性に苦しんだりしていると思います。
なので、社会が発達障害フレンドリーになったとしても、当事者ににとっては楽になるというよりもようやくスタートラインに立てる程度なのです。
でも、共感や支援、共通理解の土壌があることで、今よりずっと孤独や自己否定の感情は減っていくのではないかと思います。
発達障害の進化の果ては
発達障害とは、能力に大きな凹凸がある状態だと言われます。
一つの分野には極端に強い集中力や才能を発揮できるけど、他の分野では基本的な日常生活すら困難になるほど苦手な部分がある。
人間の「極端化された適応能力」とも考えられます。
そしてこれがもしかすると、進化の過程のひとつの可能性(希望)かもしれない。
今までは平均的や普通、まんべんなくこなせる能力が無いと生き辛い世の中でした。
でもこれからは「何かひとつに極端に強い能力を持つこと」が重要視される時代になるかもしれないということです。
たとえば、IT技術、AI開発、数学、アート、物理学、音楽、デザインなど、深い集中力や独自の視点が求められる分野では、発達障害の特性が武器として活かされる場面が増えていくかもしれない。
今はまだ生きづらさがメインの発達障害ですが、その凹凸が進化した未来の先には「発達障害であることが強みになる社会」が待っている可能性もあると思います。
発達障害のその先には、いったい何があるのでしょうか。
それはまだ誰にもわかりませんが、「発達障害に生まれてよかった」と思える未来が来て欲しい。
まとめ:希望のある未来に向けて
私が願うのは、「発達障害に生まれてよかった」と心から思えるような社会が実現することです。
もちろん、現状は生きづらさがほとんどで、社会的な偏見や誤解、制度の未整備などの課題も山積みです。
しかし、技術の進化や価値観の多様化が進んでいけば、発達障害の特性が評価される未来は決して夢物語ではないと思います。
そのためには、世の中の人の理解や共感、そして仕組みづくりが非常に重要です。
特性に合わせた教育・仕事環境の整備、多様な個性を前提とした社会設計。
そのような積み重ねが、「発達障害=才能のかたち」と捉えられる時代を生むのです。
観点 | 現状 | 未来(理想) |
---|---|---|
社会の理解度 | 誤解や偏見が多い | 多様性が当たり前に受け入れられる |
教育 | 一律・平均重視 | 特性に合わせた個別化された教育 |
就労環境 | 空気を読む文化が中心 | 個性と能力に応じた柔軟な働き方 |
医療・福祉制度 | 制度や支援が不足気味 | 発達特性に応じた包括的支援が整備 |
自己肯定感 | 低くなりがち | 特性を活かせることで自己価値が高まる |