気づけば、もう23年以上も引きこもっていました。
こんなに長期間引きこもっているはずではありませんでした。

いや、でも最初からこうなることはわかっていたと思います。
引きこもり始める前(会社を辞める前)からおぼろげながら自覚はしていたのです。

働くのは無理だと。

とにかく人との交流が全く上手くできない。
学生の頃からイジメられ、避けられ、嫌われ続けていた毎日から理解していました。

そして社会人になってからは数日で、誰も近寄らない、話しかけない、「ヤバイ奴」と認識される。

さらに、私は頭が悪くて全く何もできない。
理解力も低い。

自分でもダメ人間だという自覚がありました。
そして、ここで逃げたら終わりだと分かっていたのですが。

しかし、現実は引きこもってしまった。

もうリアルではどうすることもできない。
絶望感があったので、自分で動くことが出来なかったのです。

そして、誰も助けてはくれない。
その結果、引きこもり続けているのです。

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何故23年以上も引きこもっているのか

ただ、毎日パソコンの前に座って、同じことを繰り返しているうちに、気がつけば年月は勝手に過ぎていました。
「今日はこれをやろう」といった目的もなく、朝が夜に変わり、季節が巡り、年が変わっていく。

なぜ、こんなにも長い間引きこもり続けてしまったのか。
そして、どうしてそれが苦痛にならなかったのでしょうか。

また、その状態でずっと耐えられているのか。
正直、自分でもよくわかっていません。

気づいたら、23年以上もの月日が過ぎていました。
そんなに長い間、何をしていたのかと言えば…寝食以外はほぼずっとPCの前に座っていました。
他のことはほとんど何もしていません。

気づいたら過ぎ去った23年

何故こんなことになってしまったのか、自分でもはっきりした答えはありません。
ただ、振り返ってみると本当に勝手に時間が過ぎてしまっただけです。

大人になると「時間が経つのが早い」とよく言われます。
これは心理学で「ジャネーの法則」と呼ばれています。

年齢を重ねるほど1年が短く感じられるのは、過去の経験や記憶の密度が薄くなるからだそうです。

引きこもり生活の場合、この傾向はさらに加速すると思われます。
新しい出来事や外からの刺激がほぼゼロだからです。

毎日がほとんど同じで、脳にとっては時間の流れを区切るイベント等がない。
結果、気づけば「あれ、もう5年?10年?…え、23年?」という感じになります。

今思うと、気づいていないのが本当に恐ろしいです。

単調でも退屈しない生活

私の生活は、とにかくPC中心です。
ネット、ゲーム、動画、調べ物…といったことを繰り返すだけの日々。

普通なら飽きないの?と聞かれるところですが、不思議と飽きないし、寂しさも感じないです。
全ては私がASD(自閉スペクトラム症)だからだと思います。
1つの事をずっとやっていられる異常性。

リアルでは辛いことが多すぎて、ずっと現実逃避をしてきました。
辛いことを思い出さないようにして、ひたすらPCに向かう。

そうしているうちに、同じ生活パターンが心地よくなり、変化を求めなくなったのです。

何故23年以上も引きこもり続けられるのか

結論から言えば、全く苦痛を感じないからです。
外の世界で生きてきた日々は、あまりにも精神的に辛かった。

引きこもることで、誰とも接触しなくていいし、他人から蔑まれることも無い。
自分の弱点や頭の悪さを見せずに済む。

一人でいられる安心感が、引きこもり生活を長期化させていたのです。

引きこもっていても辛いこと

それでも、引きこもり生活がまったく辛くないわけではありません。
他人から「楽をしている」「働いていない」とバカにされる、そう思われているのは心苦しすぎます。

私の場合、近所の人からヤバイ奴扱いされているのが分かります。

少しでも外に出ようものなら、直接凝視される。
そして異常な人を見るような視線や態度が伝わってくるし、ゴミを見るような眼差しも感じます。
そのせいで、庭やベランダに出ることはほぼ不可能。

近所はほぼ高齢者だけで、監視のような凝視が日常茶飯事です。
このプレッシャーは、家の中にいても心に突き刺さります。

発達障害が引きこもりを長期化させる理由

正直に言うと、私が23年以上も引きこもり続けてしまった大きな原因のひとつは、発達障害(ASD)です。
ASDのせいで、未来のことをほとんど考えられません。

「将来どうするのか?」と聞かれても、頭の中は真っ白。
3日後ですら具体的に想像できないし、計画を立てようという発想も出てこない。
これは怠けているとか甘えているとかではなく、単純に脳の働き方がそうなっているのだと思います。

もし先々のことを現実的に考えられるなら、長期間引きこもっている異常さや危機感に気付けるはずだからです。
でも実際asdには、今日一日をどうやってやり過ごすか、それしか頭にない。
その繰り返しで23年を超えていました。

想像力と柔軟性の欠如

ASDには、想像が苦手、変化に強い抵抗感がある、生活パターンが固定化しやすいという特徴があります。
私の場合、この特徴がモロに引きこもり生活と相性が良かった(悪かった?)のです。

外に出れば、環境の変化や人とのやり取りで予測できないことが山ほど起こります。
それが強いストレスになる。
だから、変化のない毎日が心地よく、安全に感じられる。

その結果、将来のために行動しようという発想が湧く前に、同じ日々が繰り返されることになります。
気づけば数年が経ち、さらに数年が経ち…まるでスキップボタンを押しっぱなしにしたゲームみたいに時間が飛んでいきました。

まとめ:安全と引き換えに失ったもの

こうして振り返ると、引きこもり生活は私にとって安全地帯でした。
現実から距離を置き、心の平穏を守ることはできたけれど、その代わりに社会とのつながりや未来への選択肢はどんどん失われていった。

23年間以上という時間は、ただPCの前で過ぎ去っただけ。
でも、その中で得た安心がなかったら、私はもっと早く心が壊れていたかもしれません。

だからこれは、良い悪いで単純に判断できるものではない。
そんなふうに思っています。

そして、この文章に感情の起伏がほとんど無いのは、私が引きこもりについて何も感じていないからではないです。
ASDの思い付きや感情が出せない受動型アスペルガーの影響。
そしてただ、それをうまく言葉に変える言語力も無いから。

事実だけを並べるしかできない書き方も、感情を失って引きこもり続けた影響なのだと思います。

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