引きこもりでASD、抗うつ剤を飲まなかった結果、メンタルが崩れかけました。
私はASD(自閉スペクトラム症)でIQ67、そして23年以上の引きこもり生活を続けています。

ここ数日、精神的にかなり限界に近いと感じる出来事が連続して起きました。

発端は、抗うつ剤を飲まなかったことによる急なネガティブ思考の増幅
そこから、「自分は異常なのではないか」という思いが再燃し、ついには近所の住人の行動にまで、被害妄想的な思考が広がってしまいました。

この記事では、私が直面した出来事とその時の心の動きについて、正直に書いていきます。
同じように、引きこもりや発達障害で苦しんでいる方に少しでも共感してもらえたらと思います。

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「また異常だと思われた」そう感じてしまった出来事

きっかけは些細なことでした。
私は普段から「自分が異常なのではないか」という不安を抱えて生活していますが、昨日からその思いが急激に強くなっています。

昨日、私は「やっぱり自分は普通じゃないかもしれない」と感じる事件が起きました。

そして今日もまた、それを裏付けるような出来事があったのです。

それは、近所の住人からの“何か意図のあるアクション”のようなものを受けたことです。

久々に怒りの感情がmaxゲージまで溜まりました。
でも自分の戒めにしている思想の影響で、ゲームのキャラが必殺技を使った時のように一瞬で消えました。

私は、ある一つの思想を信じています。

その思想とは、「キレたら負け」というもの。

これは私の人生経験から、99.9999%確実に正しいと確信している教訓です。

アルバイトでの失敗と「キレたら負け」の原点

私は引きこもる前、短期間だけアルバイトをしたことがあります。
場所は某マ◯スコンピューターの倉庫でした。
仕事内容は、PCパーツを集めてかごに入れるという、単純な流れ作業。

しかし私はASDの特性上、相手の意図や指示を読み取るのが極端に苦手です。
作業にも慣れておらず、入ってから1ヶ月も経っていない状態でした。

そんなある日、私はパーツを間違えてかごに入れてしまったようです。
その結果、次の工程が止まってしまい、流れ作業が滞ってしまいました。

そして、他の作業員から突然、強い口調で一方的に怒鳴られました。
私はその時、「なぜ怒られているのか」が分からなかったのです。

パーツが違うということは理解しました。
しかし、どのパーツが違うのか、どう直せばいいのか、誰も教えてくれない
私は「嫌われているのではないか」という思いもあり、状況を確認しようとする前に――逆ギレしてしまいました。

怒鳴った相手は怯み、周囲の人は沈黙。
空気は一瞬にして凍りつきました。

私は**完全に「ヤバい奴」**として見られてしまったのです。

ASDと赤面症が重なった“地獄の空気”

しかも私は赤面症があり、感情が高ぶると顔が真っ赤になります。
その日はもう、顔が赤いまま、ひたすら気まずい空気の中で仕事を続けるしかありませんでした。

あの時、「逆ギレしなければよかった」「冷静に説明を求めるべきだった」と、何度も後悔しました。

でも、後の祭りです。
一度壊れた信頼関係、空気、立場は元には戻りません。

この経験以来、私は「感情を爆発させた瞬間、全てを失う」という恐怖を強く意識するようになりました。
だからこそ今でも、どんなに理不尽な状況でも、「キレたら負け」と自分に言い聞かせて生きているのです。

自分が悪くても、そうでなくても、「とにかく冷静に」怒ったら負け! これは私にとっては絶対の教訓です。

近所の人の“謎のアクション”に感じた恐怖と怒り

そして今日、久々に「キレそうになる」出来事がありました。

普段、私は誰とも関わらず、物音を立てずに生活しています。
引きこもりとして、外の世界との摩擦をできるだけ避け、まるで「自分の存在を消す」ように静かに暮らしているつもりです。

ですが、昨日は真後ろの家の住人から、今日は左隣の家から、不審な“何かしらのアクション”を受けたように感じたのです。

特に今日の夜中の出来事は、自分でもちょっと冷静ではいられませんでした。

私は夜型の生活をしており、深夜2時ごろ、汗をかいていたのでシャワーを浴びていました。
すると、ちょうどそのタイミングで、隣の家の電気が突然ついたのです。

これだけなら偶然かもしれません。

しかし、以前からこのようなことが何度も起きており、「またか……」という思いとともに、妙なタイミングの一致に、不安や不信感が募っていきました。

脳内討論会の結果

「まさか、私の生活パターンを監視しているのでは?」
「わざと音や光をぶつけて、挑発しているのではないか?」

……そんなこと、普通なら考えないかもしれません。
でも、精神が極限に近いとき、人はちょっとした出来事を「敵意」と受け取ってしまうものだと思います。

特に今回は、数日前に抗うつ剤を飲まなかったこともあり、明らかに思考がネガティブに偏っていると自分でも感じていました。

普段ならスルーできるようなことが、心にグサグサ刺さってきます。
まるで、自分が社会全体から笑われているかのような感覚。

頭では「被害妄想だ」「考えすぎだ」と思っていても、心がその思い込みを止められないのです。

蓄積された怒りと「もう限界かもしれない」と思った瞬間

私は、長年にわたってこのような状況を我慢してきました。
近所の些細な音や雰囲気、偶然と思える行動の重なり――それらをすべて「気のせい」にして心の中にしまっていました。

でも、今回ばかりは我慢の限界に近かった。

なんで私ばかり、静かに暮らしているのに、波風を立てられるの?
放っておいてほしい。例え心の中で“変な人”だと思われていてもいい。でも、行動でそれを示さないでほしい

そう思った瞬間、怒りが込み上げてきました。

とはいえ、私はそれでもキレなかった
「キレたら負け」という信念が、ぎりぎりのところで自分を止めてくれたのです。

ただ、心の中では確実に、ヤバいラインを一歩踏みかけていたと感じました。
もし、あのとき冷静さを保てなかったら・・・。

ASDの思考のクセが“突発的行動”を呼ぶ怖さ

今回、心の奥からじわじわと感じたのは、「思い込みが行動に直結しそうになった」という恐怖でした。

ASDの特性として、「他人の意図を読み取ることが苦手」「曖昧な状況に耐えられない」「一度思い込むと修正が難しい」などがあります。

そして、ASDは“こだわりが強い”と思われがちですが、実はそれ以上に、「柔軟に物事を切り替えるのが苦手」という側面が、日常のトラブルを深刻化させてしまうのです。

今回のように、隣人の電気がたまたまついただけです。
でも、それだけのことで、「監視されているのでは?」という発想が浮かび、それが強まってしまう。

そして、そのまま怒りや不安がピークに達すると、「確認してみよう」「証拠をつかもう」と、突発的な行動を起こしてしまいそうになるのです。

自分を守るための検証が、破滅のトリガーになる

たとえば、こんな考えがよぎります。

「じゃあ、毎晩同じ時間にシャワーを浴びてみよう」
「もしまた電気がついたら、それは明らかに意図的な行動だよね?」

でも、それは本当に検証なのでしょうか?

違います。
それは「確かめる実験」ではなく、「自分が嫌われている証拠を探す罠」になってしまうと思います。

確認しても、待っているのは次の思考。

「やっぱりバカにされてる」→怒り
「自分は異常なんだ」→落ち込み
「存在が迷惑かも」→絶望

このループに入った時点で、勝ち筋が存在しないゲームを自分で始めてしまっているのです。

冷静さを保つしか、生き延びる方法はない

私は今回の出来事で、あらためて痛感しました。

どれだけ理不尽に思えても、どれだけ心がざわついても「冷静でいること」だけが唯一、自分を守る手段なのだと。

たとえASDの脳が突発的な判断を下しそうになっても、
たとえ自己肯定感がマイナスで振り切れていても、私は「絶対にキレない」「絶対に暴発しない」と心に誓っています。

なぜなら、それを破った瞬間、全てが悪い方向に転がっていくと知っているからです。

IQ67とASDがもたらす“判断力のズレ”と選択ミス

最近、どうしてこんなにも生きづらいのか、本当に考えてしまいます。

私はASDという診断があり、IQは67という数値が出ています。(ウェクスラーⅢ検査)
これは平均よりもかなり低く、知的境界線付近と呼ばれるレベルです。

そしてこの組み合わせが、判断力や思考の選択肢に大きなズレをもたらしていると感じます。

例えば、今回のような出来事でも、

  • 普通なら「気にしすぎかも」とスルーできる
  • 普通なら「相手の都合かも」と解釈できる

…という“分岐の思考”が、私の中には無いのです。

一つの解釈(=悪意を持たれているかもしれない)が浮かぶと、それを検証したり、裏付けを探したりする“他のルート”を持てない。
だから、思考がすぐに「断定」へと進んでしまい、自己否定や敵意の認識へ一直線に突っ走ってしまう

これが、自分の中で起きている“思考の危うさ”なのだと思います。

正常に考えたつもりでも、ズレてしまう現実

私は、常に「自分なりに真面目に」「間違わないように」考えているつもりです。

でも実際には、その判断の多くがズレている。
しかも、それに気づけないことが多い。

これが、自分を信じられなくなる感覚をどんどん強めていきます。

  • 人に話しかけても距離を取られる
  • 自分では普通に答えたつもりでも相手が不機嫌になる
  • 迷惑をかけていないと思っていたら、実は嫌がられていた

こういった経験が積み重なると、もはや「何が正解か」分からなくなってきます。

自分の“思考そのもの”に疑問を持ち始める怖さ

最終的に残るのは、「自分の思考すら信じられない」という恐怖。

私は今まで、自分の中にある“理性”を頼りに生きてきました。
でもその理性さえも、間違っていたとしたら?

周囲に理解者がいないまま、内側だけで自分を保ち続けるのは、本当に苦しいです。

これから自分をどう保っていくか?自分にできる唯一のこと

今回の出来事を通して、あらためて感じたのは「自分は、もう精神的にかなりギリギリの状態なんだ」という現実でした。

小さなきっかけで心が大きく揺れ動き、怒りや不安が瞬間的に噴き出してくる。
それでも、「絶対にキレない」「自暴自棄にならない」と決めているからこそ、何とか踏みとどまっている――そんな毎日です。

これは、決して強い意志があるわけではありません。
むしろ、過去の失敗の痛みを繰り返したくないからこそ、我慢しているだけです。

でも、だからこそ思います。

冷静さだけは、絶対に手放してはいけない。

これだけが、私に残された最後のセーフティネットです。

自分の安心を守るためにできること

今の私にできることは、何かを証明しようとしたり、他人の気持ちを推測したりすることではなく、自分自身が安心できる生活を「守る」ことだと思っています。

  • 夜2時にシャワーを浴びてもいい。それは誰かへのメッセージじゃなく、“自分の快適さ”のため。
  • 「誰かに見られているかも」と思ったら、「それは確かな証拠がある?」と一度問い直す。
  • 「何かがおかしい」と感じたとしても、それは自分の“感覚”であって、“現実の事実”ではないことを自覚する。

最後に:自己肯定感がゼロでも、生き延びるために

今の私は自己肯定感がマイナスでカンストしている状態です。

何をやってもうまくいかない。
誰にも理解されない。
自分という存在そのものが、迷惑なのではないかと思ってしまう。

それでも私は、爆発することなく、今日を生き延びた

それだけで、ほんの少し自分を評価してもいいのではないか、そう思いたいのです。

そして、自分と同じように悩んでいる誰かがこの文章を読んで、「あ、自分だけじゃなかったんだ」と感じてくれたら、それだけで私はこの体験を書いた意味があると思っています。

まとめ|抗うつ剤を飲まなかった日と、ASDの脳の限界で見えた現実

  • 抗うつ剤を飲まなかったことにより、思考がネガティブに大きく傾いてしまった
  • 小さな近所の出来事が、被害妄想へと発展してしまった
  • ASDとIQ67の影響で、“他の可能性”を考えることができず、怒りの感情が一気に噴き出しそうになった
  • それでも、「キレたら負け」という信念だけで、何とか冷静さを保てた
  • これからも「自分の安心」を最優先に生活し、決して自暴自棄にならないことを誓いたい
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