この世界は「神様(もしくは創造主)を楽しませるために作られた」と思うことがあります。
自分の人生を振り返ってみて、あまりにも理不尽で幸せな記憶が無いからです。

世界を見渡せば、私より不幸な人はいます。
しかしその割合は、例えば日本で言えば、0.01%以下だと思う。

発達障害、低IQ、親の浮気・家庭崩壊、貧乏、変わった苗字、赤面症など、生まれた時点でどう頑張っても報われない人生。
さらに、運の異常な悪さを痛感している。

楽しいや幸せの感情を得た記憶がほとんどない。

そしてこのような人物を見て楽しむロールプレイを創造主はしているのではないかと。
あまりにも極端すぎるから。

この人物は「どれくらい生き延びるのだろう」、「運の悪さも最低値にしておいたからどんな絶望な状況に追い詰められる」のか。

逆にお金持ちや幸せな家庭の人物も同時にウォッチして楽しむ。

普通の人や平凡な人はNPCみたいな感じで、極端な設定にした人物とどう触れ合ったり関わるのかをゲーム感覚でシミュレートしている。

もちろん私のただの妄想です。
でも、あまりにも自分に理不尽な状態が、生まれてからこのかた起こり過ぎている。
そして、抜け出すこともできない運命や宿命のようなものを、強く感じています。

私は宗教や何かの教えなどを全く信じていません。
一応、親が仏教なので私もそうなっているのかもしれませんが。

でも、誰かの手のひらの上で転がされているような感覚があるのです。
この世界は、もしかすると「創造主の娯楽装置」として作られたのではないかと。

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人生が理不尽すぎると感じる理由

人はよく「人生は不公平だ」と言いますが、私の場合はそのレベルを超えていると感じています。
普通、不公平であっても少しくらいは良いことや楽しいことが起こるものだと思います。

しかし、私の人生を振り返ってみると、幸せや達成感を得た記憶がほとんど無いのです。

生まれつき、発達障害、低IQ、赤面症、聴覚過敏といったハンデがあり、親の不倫で家庭は崩壊し、経済的にもずっと貧しく、変わった苗字のせいで学校ではからかわれ、最終的には人との関わり方が全く分からなくなりました。

学生時代、誰とも会話をせずに一日が終わることが普通で、そんな日々が何年も続きました。

周りの人たちは、いじめるか、無視するか、遠巻きに見て笑うだけでした。
私という人間がそこに存在する意味すら感じられなかったです。

それでも、ただ耐えて生き続けるしかなかったのは、ASD特有の極端な我慢強さと何も考えない思考停止があったからだと思います。

本当なら心が折れてしまうような環境でも、「これが当たり前なのかもしれない」と思ってしまうのです。
それが、私にとっての理不尽すぎる世界でした。

生まれつき人生詰んでるステータスとは

どう考えても、おかしいと思うのです。
自分でも理不尽すぎると感じる、あり得ない状況に何度もぶち当たってきました。

例えば、軽トラに乗った2人組の男に道を尋ねられ、私は素直に教えてしまいました。

いきなりため口というか命令っぽく言われたので、「不良っぽいな」という違和感がありました。
しかし、それだけで何も気にせず、後に拉致されて酷い目にあわされるとは思ってもいませんでした。

道が分からないということで、私の自転車を軽トラの後ろに乗せ、私はそのまま無理やり助手席に乗せられました。
しかも、わざわざ人目に付かないところまで移動して。

この時点で気づくべきでした。
いや、今までこのような経験が無かったので、自分がどのような状況なのかもわかっていなかった。
普通の人なら危険だと思うことも、ASDの想像力の無さから何も思わない。

結局そのまま脅され、お金を全部奪われました。
かなりいかれている2人組でした。
信号無視で暴走し、何をしでかすかわからない基地外だったからです。

そして、財布に入っていた個人情報が書かれたスタンプカードを取られたのか、数日後から脅迫電話が続き、家付近で2人組に自転車で襲われそうになることもありました。

この基地外に出会う確率は、宝くじ以下です。
たまたま買い物に行って、いつもは通らない人通りの少ない道を何故か自転車で移動した。
そして、その基地外2人組に道で偶然遭遇。

数年後、警察に相談したけど、「なんでもっと早く相談しなかった」と逆に怒られる始末でした。

これも全て、ASDという障害によって想像力が乏しく、何でも信じてしまう特性の末路だと思います。

でも、このような悲惨なことは、中学生時代のイジメで何度も経験してきました。
しかし、まさか全く知らない人からの日中での異常事態にはさすがにあり得ない酷さです。

これも、運の悪さ以上の「何かを感じてしまっています。

努力しても報われない現実

私は昔から、何かを変えたくて努力はしてきたつもりです。
ただ、この世界では努力をしても、結果として頑張る前よりも悲惨な結果に陥ってしまう。
しかも、再起不能レベルにまで。

例えば、学生時代に郵便局の仕分け作業のアルバイトをしていた時のことです。
宅配便の仕組みが複雑でどうしても理解できず、荷物を誤って違う配達先に仕分けてしまいました。

その失敗で周囲からは「何もできない人間」というような目で見られ、陰で笑われることもあり、居場所がなくなって結局辞めざるを得なくなりました。
迷惑をかけてしまったという強い罪悪感と、何をやっても駄目だという自信喪失だけが残り、「頑張っても結局こうなる」という現実を突きつけられた経験でした。

倉庫作業のアルバイトも、不良っぽい人や体力に自信がある人がすぐ辞める中、私は冷蔵庫や電子レンジを一人で運び続け、過酷な肉体労働を耐えました。
周りには戦後世代のご老人しか残っていませんでした。

しかし、私は何を思ったのかいきなりアルバイトへ行かなくなりました。
当時、何故行かなくなったのか理由も思い出せません。

ただ、「肉体的に辛くて行かなくなった」ということでは無いです。
たぶん「今日は休む」といきなり思いついて、そのまま実行してしまうasdの脳の問題があったと思う。

1~2カ月、その倉庫のアルバイト先に何も告げず急に何食わぬ顔で仕事に戻りました。
明らかに異常です。しかし、社員や他のアルバイトの人は何も言いません。

何故なのか。
今思うと、異常者だと思われていたんだな、と。
結局いたたまれなくなり、辞めざるを得なくなりました。

さらに最近では、AIで稼ごうと毎日10時間以上作業を続け、四ヶ月間必死に取り組みましたが、収益は0円でした。

頑張れば報われると思っていましたが、結果は何も残らず、ただ空虚さだけが積み上がっていきました。
それどころか、頑張る前よりも悲惨な状況に追い込まれ、立ち直れなくなる出来事も起こりました。

こうして努力するたびに思うのです。
神様(創造主)は私が必死になっている姿を見て、「また無駄な努力してるw」と笑っているのではないかと。

そして、どれだけ必死で努力しても、この世界では結果を出せない人間として設定されている。

本当にそう思ってしまうほど、私の人生は理不尽だと感じています。

この世界は神様の娯楽装置なのか?

どこまで理不尽に耐えられるかという耐久テストのために作られた存在なのかもしれません。
普通の人なら一度で心が折れるような絶望も、「まだ大丈夫だろう」と軽く扱われる。

ただし、ほんの少し幸せを感じることがあれば、すぐに取り上げられる。
魚が針にかかった状態で、水面に顔を出させられた瞬間にまた深い水底へと突き落とされるように。

息ができると思った瞬間に、その希望を奪う。
それを何度も何度も繰り返されるうちに、やがて希望を抱くこと自体が無駄だと学習していく。

ASDという無駄に我慢強いデバフ

ASDの私は、空気が読めず、未来の想像が苦手で、無駄に我慢強いという特徴がありました。

どれだけ理不尽で過酷な環境でも、「これが普通なのかもしれない」と思い、逃げるという選択肢すら思いつきませんでした。

しかし、その我慢強さも、この世界にとっては楽しませる存在なだけで、私自身が救われることは無い。
「このキャラには気付けないデバフと、無駄に高い忍耐力をつけておこう」と設定したように感じます。

何も考えずに、ただ苦痛を耐える人間の姿は、きっと面白いのでしょう。

神様が課金して楽しむゲームとしての人間

この世界をゲームに例えるなら、神様は課金プレイヤーのような存在だと思います。

「今日はどのキャラを見ようかな」

「この人間には最低ステータスを与えておいたけど、まだ壊れないw」

「この人間にはお金持ち家庭と高IQを与えたから、今度は不幸キャラと絡ませてみよう」

そんなふうに、シミュレーションゲーム感覚で見ているように感じました。

普通の人や平凡な人生を送る人はNPCのような存在で、極端に幸せな人や、私のように不幸な人が、このゲームのメインコンテンツになっているのだと思います。

ただ私は、そのコンテンツの中でも、「どれだけ理不尽でも生き延びるキャラ」として設定されている。
そう考えると、努力しても報われない理由も、少しだけ納得できる気がしました。

きっと、壊れそうで壊れないギリギリのところで、どれだけ苦しむのか、どれだけ無駄に頑張ってしまうのか、そういう部分を見て楽しんでいるのだと思います。

もし私が突然、何の悩みもなく幸せに生き始めたら、神様はつまらなくなって、すぐに別のキャラに興味を移すでしょう。

でも、ずっと苦しんでいる人間は、いつまでも最高の娯楽として見続けられる。
まさに、無限耐久コンテンツです。

私はその役割を与えられて生まれてきたのかもしれないと、最近よく思います。

抗うことはできるのか

抗うことはほとんど不可能だと思います。
そもそも、神様という存在自体がこの世界の仕様そのものだからです。

私たちはゲームの中のキャラクターと同じで、どれだけ必死に足掻いても、コードを書き換えることはできない。

この世界に生まれた時点で、どんなステータスになるか、どんなハンデを背負うか、全て決められているからです。

私は、生まれながらに低IQ、ASD、赤面症、聴覚過敏、貧困家庭と、重ねがけデバフばかりでしたが、それも神様が

「今回はどれだけ耐えられるかテストしてみようw」

と、ゲーム感覚で設定。
プログラムからは抜け出せない。
バグが発生しない限り。

唯一の反逆:無感情NPC化

しかし、唯一できることがあるとすれば、それは神様を楽しませないことだと思います。

面白いと感じるのは、キャラクターが苦しみながらも、「どうして?なんで?」と足掻く姿です。

だから、もし私が完全に無感情になって、ただのNPCのように「はい」「いいえ」だけで生きるようになったら、きっとつまらないと感じるはず。

何も感じず、何も考えず、ただ空を見てご飯を食べて寝るだけ。

それが、残された唯一の小さな反抗なのかもしれない。

もしくは、真逆の状態になる。
しかし、それには運と奇跡が必要。その設定は皆無。

結論:この世界で生きる意味とは

どれだけ頑張っても、笑われるだけで終わる現実。
どれだけ努力しても、神様に「おっ、まだ壊れないw」と楽しみにされるだけ。

期待をせず、希望も持たず、無感情で淡々と存在し続けることこそが、唯一できる無言の抵抗なのではないかと思いました。

生きる意味は分からなくても、どうせ最後には全てが終わります。

それまで、何も考えずに、ただこの人生ゲームを無感情NPCのままログインしたまま過ごす。
それが、私が辿り着いた一つの答えでした。

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