
人は生まれた時点で、進むべき人生がある程度決まっていると思っています。
発達障害、頭の悪さ、弱すぎるメンタル、超赤面症、変わった苗字、貧乏、そして運の悪さなどなど。
私は、普通の人なら一つでも大きなハンデになるようなものを、いくつも抱えて生まれてきました。
今思うと、人生のハードモードを最初から選ばされていたと思うのです。
努力や根性で覆せる範囲を超えていて、何か見えない力、運命や宿命のようなものが働いていると感じます。
この生まれの運命は、先祖や前世との因果関係があるのではないかと、そんな考えが頭をよぎります。
そのきっかけを毎年与えてくれるのが、お盆です。
お盆になると考えてしまう生まれの運命
お盆は先祖が家に帰ってくる時期と言われています。
しかし私は、お盆だからといって親族と集まることもなければ、迎え火や送り火、精霊馬(きゅうり馬・なす牛)を作るようなこともしていません。
父親のお墓参りも、亡くなった直後の2回程度しか行っていません。
なので、もしかしたら先祖の供養や父親のお墓参りなどをしていないことが、今の自分の不運や引きこもりの原因になっているのではないかと..。
昔からご先祖様を粗末にすると運が下がるという話を聞いたことがあります。
迷信だと思っていましたが、不運の連鎖を振り返ると、あり得ない事でもないのかなと。
スピリチュアルや呪いのようなものは信じてはいないのですが。
お盆と不幸(引きこもり)の関係
お盆は、日本中で先祖の魂を迎え入れ、感謝し、またあの世へ送り返す行事です。
本来は、家族や親族が集まり、先祖を思い出し、感謝する時間でもあります。
もし、この儀式や慣習を何十年も完全にスルーし続けたら、どうなるのでしょうか。
「先祖が怒って運を下げる」とか「人生が停滞する」といった都市伝説めいた因果関係があるとしたらどうでしょうか。
もちろん現実的には、科学的に呪いが証明されたことはないです。
でも、環境や遺伝的な要素、そして生まれ持った特性(発達障害、メンタルの弱さなど)が組み合わさり、結果的に引きこもりになり、全く抜け出せない。
きっかけとなるような救いのある出来事も全く起きない。頑張ろうとしても、頑張る前よりも酷い状態に陥る始末。
もし仮に、お盆を全くやらないことで先祖とのつながりが薄れ、運が悪くなるというような因果があるとしたら。
考えるだけで妙に納得してしまう自分がいます。
引きこもり23年以上、ASD・IQ67の私を先祖はどう思っているのか
そういえば、母方のおじいさん、おばあさんには小さい頃に数回会ったことがあったくらい。
父親の親戚にはほぼ会ったことが無い。いや、父親の葬儀で1回と、小さな時に1~2回くらい。
今ではどちらの祖父母も他界していて、どんな人だったのか、どんな考え方をしていたのかも知りません。
もし死後の世界があり、本当にお盆に先祖が帰ってくるのだとしたら。
きっと私の現在の惨状を見て、驚くか、呆れるか、心配するか…。
正直、恥ずかしい気持ちしかありません。
ただ、私としては言いたいことがあります。
「これは私のせいというより、明らかに生まれ持った脳の特性や家庭環境、そして運の悪さが原因なんです」と。
学生時代の過酷さ、たった4カ月で終わった社会人生活、度重なるいじめ、家庭の崩壊。
その現実を知れば、きっと同情してくれるはずです。
先祖が私を見たらどう思っているのだろう
もし先祖が今の私を見ていたら。
まず第一声はたぶん「誰?」だと思う。
ほぼ会ったことないし、写真すらお互い見たことが無い。と思う。
私から見ても彼らはほぼ他人だし、向こうから見ても、引きこもり歴二十三年以上の、よく分からない子孫なんて、急に現れたモブキャラみたいな存在でしょう。
で、事情を知った瞬間、「ふーん、まあ……そういう家系なんだろうね」と、他人事みたいに納得して帰っていく。
血はつながってても、情までつながってるわけではない。
お盆だからといって、わざわざ何か期待してるわけでもない..と思う。
むしろ「供養も墓参りもろくにしないくせに、不幸を先祖のせいにするなよ」って思ってるかもしれない。
その冷ややかな視線を想像すると、こちらも「いや、アンタらのせいだと思ってます」と言い返したくなる。
お盆なんて、ただの「赤の他人が里帰りする日」ぐらいの距離感でちょうどいいのかもしれないです。
まとめ
私は生まれつきの特性や環境のせいで、人生がハードモードだったと感じています。
発達障害、低IQ、メンタルの弱さ、赤面症、変わった苗字、貧乏、そして異常なまでの運の悪さ。
努力や気持ちの持ち方ではどうにもならない要素が、これまでの人生を大きく左右してきました。
お盆や先祖供養を一切してこなかったことが、運の悪さや引きこもりの原因になっているのかは、科学的には証明できません。
ただ、お盆という行事は、先祖を思い出し、自分のルーツに感謝する時間でもあります。
そうした時間を持つことが、直接的に運を変えるわけではないにせよ、気持ちや行動の小さなきっかけになる可能性はあるのだと思います。
もし「生まれの運命」や「不運」について考えているなら、お盆に限らず、ちょっとした形でも先祖を思い出す時間を作ってみるのもいいかもしれません。
それが迷信や呪いを信じるということではなく、「自分を振り返るきっかけ」になるからです。
最終的には、先祖が怒っているのではなく、ただ静かに見守っている。
そう考えたほうが、少しだけ心が軽くなる気がします。