最近、ネットやSNSでは「引きこもり」に対する否定的な意見を目にすることが増えました。怠けている、甘えている、社会の役に立っていない——そんな言葉が投げかけられていると感じます。

引きこもっている本人(私)たちは、そうした声に対してなかなか言い返せず、弱い立場に置かれやすい現状があります。さらに、社会全体のストレスのはけ口として、「引きこもり」が槍玉に挙げられることすらあるように思うのです。

でも、本当に引きこもることは悪なのでしょうか?
そもそも、社会は引きこもりをどこまで許すべきなのでしょうか?

今回は、22年以上引きこもり生活を送っている人間が、このテーマについて本音で語ってみたいと思います。

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「引きこもりは悪」という考え方

働かずに家にいるのはダメなことだ
自立しないのは大人として無責任だ

こうした考え方は、社会のルールとして根強く残っていると思います。たしかに、社会は“労働”を前提に回っています。みんなが働いて税金を納め、そのおかげで公共サービスが維持される。だからこそ、「引きこもり=社会に貢献していない=悪」という見方が生まれるのかもしれません。

また、「努力すれば社会復帰できるはず」「ただの甘え」と思われることも多いですよね。でも、本当にそうでしょうか?

意見理由
「働かずに家にいるのはダメ」社会は労働を前提に回っているため、引きこもりは社会貢献していないとみなされる
「自立しないのは無責任」大人として自立することが当然とされている
「努力すれば社会復帰できる」引きこもりは「甘え」だと考えられることが多い

引きこもりになる理由は人それぞれ

私の場合、発達障害(ASD)であり、さらに軽度知的障害のIQ(70以下)なので社会のルールや人間関係がうまく理解できません。
さらに過去の壮絶ないじめや孤立から、自己肯定感が異常に欠如している。

世の中には、私のように「発達障害」「精神疾患」「過去のトラウマ」「対人恐怖」「いじめ経験」など、さまざまな理由で引きこもる人がいます。

「外に出たいのに出られない」人もいれば、「外に出ることで心が壊れてしまう」人もいる。

そんな状態で「社会に出ろ」「働け」と言われても、どうにもならないこともあるのです。

引きこもりは本当に何もしていないの?

「社会に貢献しない=悪」と言われることがありますが、引きこもりは本当に何もしていない扱いになってしまうのか?

例えば、今の時代、ネットを使えば在宅で仕事をすることもできます。ブログを書いたり、動画を作ったり、フリーランスとして働く人もいます。

また、たとえ働いていなくても、ネットで優しい言葉をかけたり、情報を発信したり、誰かの心を支えることはできます。

「税金を納めない=社会に貢献していない」と言う人もいるかもしれません。でも、それなら家族の介護をしている人や、専業主婦・専業主夫も同じことになってしまうと思います。

本当に大事なのは「社会に適応できるか」ではなく、「その人がその人なりに生きているか」ではないでしょうか。

社会は引きこもりをどこまで許すべきか?

「引きこもりを社会が許すべきか?」という問い賭けがありました。

「そもそも、許す・許さないの問題ではない」

引きこもりを選んでいる人もいれば、そうせざるを得ない人もいます。どんな生き方を選ぶかは、その人の自由です。

もちろん、ずっと引きこもっていることで苦しくなるなら、少しずつ動き出せる仕組みがあるといい。でも、「社会に適応できること」が正解で、「適応できないこと」は間違いだと決めつけるのは違うと思うのです。

社会の側も、「働ける人は働く」「働けない人は無理をしない」「それぞれができる形で生きていける」——そんな選択肢があっていいはずです。

引きこもり支援の現実と課題

引きこもり地域支援センターなる相談機関はありますが、あくまで相談できるレベルだと思います。
具体的にどう行動して、社会復帰までの完璧な道筋が無い。

例えば引きこもり地域支援センターでは、精神科や心療内科に相談する、A型事業所を利用するといった方法を伝えてきます。でもこれらは「自分で動ける人」に向けた選択肢であり、すでに社会との接点を失った人にはハードルが高すぎて無理です。

引きこもる理由や状況は人それぞれ違うのに、一律の「一般的な解決策」しか提示されない。このままでは、本当に支援が必要な人に届かないのではないでしょうか。

引きこもりを救済する法律が無い

そもそも、引きこもりを救済する法律が日本にはほぼ無なのが問題です。

民間レベルでは、引きこもり支援を行うNPOや企業がありますが、ほとんどが有料で、お金が無い人は無理。
また、引きこもりを食い物にしてお金を稼いでいる輩も多いので信用できない。

政策として「就労支援」や「相談窓口の設置」は行われていますが、あくまで「社会復帰を前提とした支援」が中心です。

しかし、引きこもりの問題は「とりあえず働けば解決する」という単純なものではありません。
引きこもりの原因となる根本的な問題を解決しない限り、無理です。

なので個人で何とかするしかないし、しかし「何をしたらいいのかわからない」と言うのが現状です。

しかし、本当の問題は引きこもりに対する十分な支援がないことであり、法的な救済措置がないことです。その結果、引きこもりが「自力でなんとかするしかない」自己責任状態となり、社会に適応できないことを責められ、行動できないと悪者扱いされてしまいます。

本当に大切なのは、「引きこもりが社会復帰できるかどうか」ではなく、「それぞれの生き方に合わせた支援があるかどうか」 ではないでしょうか?

  • 「支援がない=引きこもる人が自分で何とかしなければならない」
  • 「社会復帰ができない=本人の努力不足」
  • 「働かない=社会に貢献していない=悪」

このような 短絡的な価値観 が広がり、結果として 引きこもり=悪者扱いの原因になるのです。

まとめ

引きこもりが“悪”だとは思いません。
でも、「社会が許すべきか?」という問いには、正解はないとも思います。

私の場合、重度の引きこもりの為、近所の人たちに蔑まれています。
悪者扱いをされている可能性もあります。
特に、近所の室外機問題で手紙や苦情を言ってしまっているので。(匿名ですがバレている可能性大)

社会の価値観は人それぞれ違います。だからこそ、いろんな意見があるはずです。

世間の非人が「引きこもり」についてどう思うのか。
社会はどこまで受け入れるべきなのでしょうか。

大多数の普通に生きられている人から見れば、引きこもりはどうしても下に見られてしまう存在であることは否定できないと思います。

しかし、引きこもりを「下に見るべき存在」と決めつけてしまうのは、あまりにも短絡的ではないでしょうか。

人それぞれに事情があり、生きづらさを抱えながらも懸命に生きている人がいます。誰も好き好んで苦しんでいるわけではありません。

社会の価値観が「働けること=正義」「適応できないこと=悪」といった二元論に偏ってしまうと、多様な生き方を受け入れる余地がなくなります。本当に大切なのは、「社会にどう適応するか」ではなく、「その人がその人なりにどう生きるか」だと思います。

引きこもることは、決して「悪」ではない。 そして、それを「許す・許さない」の問題にしてしまうのも違う。

社会や国がもっと柔軟に、引きこもりの生き方を認める方向に進んでいくべきではないでしょうか。

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