
クリスマスは引きこもりやボッチの人とって、1年の行事の中でワースト3に入るくらい嫌なイベントだと思います。
私も子供のころから家族以外で、誰かと過ごしたことは一度もありません。
自分の置かれている環境や状況が劣悪だったので「一般的な幸せが無い」のが当たり前だったからです。
でもそれで、悔しいとか嫉妬などのような感情は特に無いです。
発達障害(ASD)の「自分と他者の状況比較が苦手」のおかげかもしれませんが。
小学生くらいまでは、母親がケーキを作ってくれていました。
貧乏でも、クリスマスっぽいことを家族でしていた記憶があります。
でも、中学生くらいから父親が浮気し家庭崩壊から、そういうことも消滅していきました。
そもそもクリスマスは、リア充や普通に育った人専用の楽しむイベンドだと思っています。
でも、本当のクリスマスの意義は、リア充が楽しむイベントではなく、キリスト教における「イエス・キリストの誕生を祝う日」です。
なんで日本では、プレゼント交換したり、恋人同士が過ごすイベントになり、パーティなどを行うようになったのでしょうか。
よく言われているのが、企業が儲けるために広めた商業イベント化です。
日本のクリスマスは本来の宗教的な意味ではなく、企業が作り上げた「特別な日」というイメージに乗せられて発展したという話です。
どちらにしても、クリスマス=華やかな印象があり、人生が順調そうな人たちが楽しむ行事ということです。
引きこもりやボッチの人にとっては、辛いイベントです。
でも想像力が低い発達障害の人の場合、世間一般の楽しいクリスマスを経験していない限り、それほどメンタル的にきたりはしないはず。
「ただのちょっとリア充がうらやましい」と意識するイベント扱いになると思われます。
発達障害や引きこもりの人がクリスマスに嫉妬や羨ましがらない理由
冒頭で「クリスマスを楽しんでいる人たちに嫉妬しない」と書きました。
でも、こうしてクリスマスの事を意識して考えてしまうと、やはりちょっとうらやましいな、と思うことも20%くらいは感じています。
テレビはほぼ見ないので、クリスマスの浮かれた雰囲気を理解できませんが、ネットではたまにそのような記事を見てしまいます。
その時にちょっとだけ羨望というか、別世界の人間の人のような何かを感じています。
そもそも、クリスマスは自分にとって無縁のイベントであり、「手の届かない幸せ」という位置づけになっています。
例えるなら発達障害の人が普通の人(定型発達)の人生を羨む感情に似ているのではないでしょうか。
現代医学では発達障害は治らず、ずっと付き合っていかなければならない。
否応なしに、普通の人とは別次元の人生を送っている。
回避不能であり、クリスマスも同様に別の話ということです。
もの凄くたとえが下手すぎるのですが、ようするに発達障害や引きこもり、ボッチの人にはクリスマスはほぼ無関係なので、羨むや嫉妬といった感情が薄いということです。
羨ましくなったり嫉妬してしまったらどうすればいい?
ASDの場合、1度気になると物事を深堀してしまう癖があります。
そして、これがクリスマスと関連してしまうと辛いことになります。
「普通の人のクリスマスとは何だろう」、「恋人同士のクリスマスとは?」、「クリスマスパーティの楽しみ方」など、自分が納得するまで調べつくします。
それで、自分とクリスマスを楽しんでいる人を比較してしまい、落ち込んだり、ずるいと思ってしまうのです。
回避するには、ASDの人の場合だとある意味、難しいかもしれないです。
無意識に調べたり、知ろうとしてしまいストレスをためて、後々後悔することがよくあります。
長期間記憶に定着してしまったり、クリスマス付近になると記憶が呼び起こされてしまったりするからです。
なので、知らないように自己防衛するしかないと思います。
余計な知識を身に着けて、脳の容量を無駄にしない。
ただのストレスになることは、極力しない、調べない、気にしない。
ASDは一時になると、無駄なことばかり知ろうとして、ストレスに変換されてしまいます。
発達障害・引きこもり・ボッチのクリスマスの正しい過ごし方
ここまで書いてきた通り、発達障害や引きこもり、ぼっちの人にとってクリスマスは「自分とは別世界の行事」という位置づけといっても過言ではないと思います。
なので、無理に世間のクリスマスに合わせる必要は全くないのです。
むしろ、一般的なクリスマスの常識から距離を置いたほうがいいと思われます。
そもそもクリスマスは宗教行事であって、恋人イベントでもリア充の祭りでもないということ。
そう考えれば、クリスチャンでない限りただの12月24日であり、普通の日扱い。
何か特別なことをしたり、おいしいものを無理に食べなくてもいいのです。
逆に、そのようなことをしてしまうと、普通の人との比較が頭で始まってしまう恐れがあります。
既に私たちは一般とはズレた存在なので、クリスマスだろうがお正月、世間一般の長期の休みなどは関係が無いのです。
なので、いつも通りの生活をするのが、リア充イベントの過ごし方となります。
要するに意識しないで、無用なストレスをためず、「いつもの日」感覚でいればいいと思います。
でも、そうはいっても当日にテレビを見てしまったり、ネットでクリスマス関連記事を見てしまうと、自分との対比が始まってしまいます。
そうなったら諦めて、自分なりのクリスマスの幸せな過ごし方をしたらいいのではないでしょうか。
例えば、新しいゲームを買ってするとか、何か普段食べない特別なものを食すとか。
まとめ
今回は、発達障害や引きこもり・ボッチの人とクリスマスの関係性について考察してみました。
リアルに縁がな人にとっては、辛いイベント日です。
浮かれている人たちが楽しんでいる傍らで、みじめな気持ちになることもあります。
そして、気にしないようにしようと思っていても、いざ12月24日になると、否応なしにクリスマスを意識してしまいます。
そうならないのは、本当に達観した人くらいなのではないか、と思います。
クリスマスに全く縁がなかった発達障害、23年以上の引きこもりの私でさえ、24日前になると少しは複雑な気持ちがわいてきて意識してしまいます。
でも、おいしいものを食べることは無いし、何か特別なことをすることもないです。
ただ過ぎ去るだけの日。
でも、やはり別世界の人が楽しむイベントだという認識がありますが、20%くらいは羨ましいという感情が勝手に湧いてくると思われます。
そもそも、クリスマスと縁がない人生になったのは自分のせい。
もちろん生まれの環境の影響も大きかったけど、嘆いても仕方がないので受け入れるしかない。
でもこのように諦め続けていると、うつ病になったり、精神に異常をきたしてしまいます。
私の場合それに加えて、無感情が強くなった気がします。
発達障害や引きこもり・ボッチの人が、このようなリア充イベントを気負わずに受け流して、自分らしく過ごせるような世の中になって欲しいと思います。
