
最近、場面緘黙(ばめんかんもく)という言葉を初めて知りました。
内容を調べてみると、場面緘黙(選択性緘黙)は、特定の社会的場面で一貫して話すことができなくなる状態。
医学的には不安障害の一種に分れているとのことです。
自分の子供の頃を振り返ってみると、ほぼ場面緘黙に完全に当てはまっています。
いや、今現在もずっとその状態がずっと続いていてはいます。
そもそも子供のころから家庭崩壊しており、場面緘黙の要因になることがあった。
それでも、少なくとも家の中ではそれほど物おじせずに言葉は出せていたはず。
逆に学校では常に不安を感じていて、言葉が上手く出ない・沈黙のような状態でした。
思考が鈍ってしまうというか、考えが極端に低下してしまいます。
発達障害ASDの慣れていない、自分の落ち着けない空間に対する思考力の低下とかなり似ていると思います。
日本発達心理学会などの報告では、場面緘黙の子どもの中に発達特性(ASD傾向や言語面の課題など)を併せ持つケースが一定数あると指摘されています。
臨床例では約68.5%というデータもあります。
場面緘黙は発達障害の人に併存すると言われていますが、単独でも発症することもあるし、後天的にそうなってしまうこともあるようです。
個人的に場面緘黙症は、親からの遺伝による精神の弱さが一番関係していると思っています。
どう考えても、生まれつきの精神の強弱、性格の違いが遺伝によって基礎値が差を生み、場面緘黙症のなりやすさが関係してくるからです。
さらにそこに発達障害のコミュニケーションの苦手感や、環境による慣れの低さ、対人関係の失敗などを経て、症状が変わってくるのです。
でもそれだと、ただの精神軟弱による「自己表現が苦手な人」と似ているのかもしれない。
場面緘黙症とただの精神の弱い人との違いは何なのだろう。
似て非なるものだとは思います。
ASDに関しては、アスペルガーの性格のタイプで最初は尊大型(自分を表現できる)から、自己肯定感の欠如から孤立型や受動型になり、場面緘黙症のようになってしまうと予想します。
場面緘黙の一番の問題は、人生において損をすることが多いということです。
自分を出せず、何を考えているのかわからないと思われてしまう、伝えたいことが言えない、相談できない、などなど。
場面緘黙は先天性の遺伝による影響が強いと思っているので、子供のころからこのメンタル状態の人は、治療する必要が必須だと思います。
そのまま放置しておくと、悪化して様々な悪影響、そして後の人生にほぼマイナスしかならないからです。
そこで今回は、場面緘黙症について考えてみたいと思います。
場面緘黙症あるある
場面緘黙は、外から見ると「ただ静かな人」「人見知りが強い人」と誤解されやすいですが、本人の中では強い不安や緊張が起きていることが多いと言われています。
ここでは、当事者や周囲の声としてよく挙げられるあるあるをまとめてみます。
家では普通に話せるのに、学校や職場だと声が出ない
最も典型的なパターン。
家族とは自然に会話できるのに、教室や職場など特定の場面になると、頭が真っ白になり言葉が出てこなくなってしまう。
話さないのではなく、話したいのに出ない感じです。
指名されると頭がフリーズする
先生や上司に急に話を振られると、強い緊張で思考が止まったようになってしまう。
答える内容を思いついても、言葉が出ないで、マイナス思考に支配される。
私は過去を振り返ってみると、これがよくあったなと思います。
中学時代に、数学の新しい先生が来て、授業でコレができる人をみんなで選んで、というようなことを言って、圧倒的にクラスで最底辺の私がバカにされる感じで選ばれました。 もちろん私は顔を頭がパニックになり、顔が真っ赤になり、何も言えず、沈黙と笑いがクラス中を支配していました。
結局、頭の良い人が代わりに答えてくれました。
突然のことに対する思考停止は、ASDの特徴でもあり、場面緘黙の人にもよく見られる反応だと言われています。
こういうことが積み重なって、常に授業中は自分が当てられることに恐怖を感じ続け、不安や心配などに頭を支配されて、勉強をするという環境ではなかったのです。
声が出せない代わりに、うなずきや筆談で乗り切る
場面緘黙症対策として、話せない場面では、首振りやジェスチャー、メモ書きなどで意思表示をする方法があります。
他の人からは変に思われたり、誤解される可能性がありますが、本人なりに必死にコミュニケーションを取ろうとしている意思表示となります。
慣れた相手でも、場所が変わると話せなくなる
相手が同じでも、環境が変わると急に話せなくなってしまう。
例えば、家では話せる相手でも、学校で会うと声が出ない、といった感じです。
学生の頃の三者面談で、自分・親・教師での話し合いで、私は全く会話ができなかった記憶があります。
そもそも、将来の目標、何をしたいのかなどが皆無だった。
その前に、その日をどう生き延びるのかだけに注力せざるを得ない状況だったからです。
今思うと、ASDの「先の見通しを立てにくい」「抽象的な質問にその場で答えるのが苦手」といった部分の影響も、かなりあったと思います。
でも一番はIQの低さが原因だと思っていますが。
本当は話したい気持ちはある
そもそも、当事者はコミュニケーションを取りたくないのではなく、上手くできないだけ。
ASDのコミュニケーションの苦手さや不安の強さ、その場の環境による緊張が重なり、頭が真っ白になって言葉が出なくなるからです。
できることなら普通の人のように、コミュニケーションを取りたい。
ほとんどの人はそう思っているのです。
場面緘黙ずるい
ネット上では、「場面緘黙はずるい」「話さなくて済むから楽そう」といった意見があるようです。
意味が分からないのですが、当事者はただのデバフがかかった状態であり、ほぼマイナスの影響しかない。
話せないことで誤解されたり、評価を下げられたり、人間関係で不利になったりと、本人にとっては不利益やストレスの方が大きいケースがほとんどです。
授業で発言できない、面接で自己PRができない、助けを求めたい場面で言葉が出ないなど、さまざまな場面で問題が起きてしまうからです。
たぶん「ずるい」と見えてしまうのは、沈黙の状態をつづけることで、発言による失敗や恥を避けているように見えるからなのだと思います。
他の人から見ると、、「答えなくても許されている」「責任を回避している」ように感じさせてしまっているのかもしれないです。
後は、クールに見えてずるい、演じているなどでしょうか。
場面緘黙の子供は頭がいい?
どうなんだろう。
少なくとも私は軽度知的障害のIQ+発達障害であり、最底辺の場面緘黙症だと断言できます。
実際、場面緘黙の子どもの知的水準はバラバラのようです。
普通の知能の子供もいるし、得意不得意に偏りがある発達障害の人、言語面に課題を抱えている子もいます。
場面緘黙=高IQというのは無いと思う。
ただ言えるのは、場面緘黙の不安反応によって知能指数が下がってしまう可能性が高いので、頭が悪く見えてしまう可能性はあるのかもしれないです。
大人の場面緘黙とは
場面緘黙は子供の頃によくみられるので、大人には関係がない症状と思われるかもしれないです。
でも、実際には大人になっても症状が続く人はそれなりにいるようです。
大人の場合、学校のように完全に話せなくなる場面は減っても、会議で発言できない、電話応対が極端に苦手、初対面の場で頭が真っ白になるといった形で困りごとが残るケースが多い。
周囲からは「大人しい人」「消極的な人」と見られるかもしれないのですが、心の中では不安が支配していてその時々の対応に異常なストレスを抱えていると思います。
場面緘黙症は親のせい?
個人的には80%くらいは親の影響だと思っています。
まず、遺伝による精神の弱さの問題。
次に、普通と違う家庭環境だった場合。
さらに、いろいろな体験をさせてあげられていたかどうかなど。
先天性の遺伝、発達障害の有無、育ち、環境問題がすべて親が子供に影響を及ぼしているからです。
親のせいではないと考えられる要素としては、本人の不安の感じやすさといった気質面や、その場の緊張度、環境との相性、偶然の経験の積み重ねなども関係しているのかもしれない。
場面緘黙がある子供に対する親ができること
個人的な解決策として思いつくのが、様々な人生体験をさせてあげるということです。
海外旅行、一人でサバイバル生活など、何事にも物怖じしないメンタルを作ってあげること。
そして発達障害ASDの人に言えるのが、とにかく経験を積んで対処法をたくさんインプットしておく必要があります。
様々な場面、不意の未知な出来事に対する耐性を付けてあげるなど、とにかく「経験が必須」ということです。
ただ、これは少し極端ですし、場面緘黙は不安反応が強く出る状態なので、急激な負荷は逆効果になることも多いです。
いきなり強い負荷をかけずに、本人が安心できる範囲から段階的に慣れていくことだと思います。
まとめ
今回は、場面緘黙について考えてみました。
場面緘黙は、ただの人見知りや性格の弱さというわけではなく、不安の感じやすさ、発達障害、環境、これまでの経験など、さまざまな要因が重なって現れる状態だと考えられています。
そして何より、本人は話したくないのではなく、話したいのに体が動かないという苦しさを抱えているということです。
対処法や治し方は、場面緘黙と気づいたら早い段階から周囲の人の理解や適切な関わりによって軽減していく可能性があります。
でも、生まれつきの不安の感じやすさや発達障害の影響は大きいです。
なので完治させるというよりは、どう付き合いながら症状を軽減していくかという視点が現実的だと思います。
そのためにも、本人ができる範囲から少しずつ経験を積んで、対処の仕方を学んでいく。
例えば、小さな交流の場に参加してみるなど、無理のない形で慣れていく積み重ねです。
場面緘黙はただの人見知りや精神の弱さではなく、不安反応が強く出る状態です。
そう考えると、不安を増幅させる自己暗示・催眠のようなものを自分自身で作り出してしまっているのかもしれないです。
子供の頃の自分を振り返ってみても、常に頭の中に「どうしよう」という強い不安感が支配していた。
そして、適切な言葉を考える思考にならない。
対処法として、無の状態になる、そしてとにかく強気な気持ちを持つこと。
「どうでもいい」と開き直れた時や、破れかぶれの気持ちになれた時に、逆にうまく話せたこともありました。
でも人それぞれですし、失敗するとさらに取り返しのつかないことになる諸刃の剣なので、無理に真似できる対処法ではないと思います。
完全に別人のように変わることを目指すよりも、できる範囲から少しずつ行動して改善していく方が現実的だと思います。
場面緘黙は遺伝や環境など、ベースとしてなりやすい人がいるので、本人の努力だけでどうにかなる問題ではないです。
なのでやはり子供の頃は、親や教師が上手く対処しなければならない案件なのです。
