発達障害・自閉症スペクトラム(アスペルガーASD)の人は、健常者を羨ましいと思っているのでしょうか。
ほとんどの発達障害の人は、普通の人(定型発達)に嫉妬していると言えます。
むしろ、嫉妬する要素しかないと思います。
発達障害の脳は、人生を送るうえでハンデだらけのポンコツだからです。
生まれた時点で、普通の人と同じスタートラインに立てていないのです。
努力や運が良くても、平穏な人生を送れる可能性は低いです。
また、周囲の理解やサポートが無いと、人生はボロボロになります。
発達障害の人は、自分の人生が上手くいかなかった時に、「健常者が羨ましい」、「健常者に生まれたかった」と嫉妬します。
今回は、発達障害の人がどのような時に健常者を羨むのか考察していきたいと思います。
普通の人(定型発達)が羨ましい
発達障害・自閉症スペクトラム(アスペルガーASD)の人が、健常者に対して羨ましいと感じるところは、普通の人生を謳歌していることです。
友達関係を構築できる。
恋愛を楽しんでいる。
勉強がでいる。
普通の振る舞いができる。
コミュニケーション力がある。
集団での適応力がある。
など、特別優れていなくてもいいから、平穏な人生を送れる能力にずるいと感じてしまいます。
普通の人(定型発達)でも、コミュ障だったり、友達が少ない、勉強が苦手など、何かしらの短所はあると思います。
しかし、発達障害は、極端に出来ない、努力しても成長できない、社会適応能力が皆無など、生まれた時点で備わっていないのです。
しかも現代医学では治すことはできない。
発達障害に生まれた時点で、人生ハードモードであり、過酷な日々を過ごしているのです。
友達関係を構築できる
健常者は自然と友達関係が出来たり、知り合いを作ることができます。
もちろん、健常者でも対人が苦手で上手くいかない人もいます。
それでも全くいないなんて人はごく稀であり、一人か二人くらいは、友人ができると思います。
発達障害ASDの私の場合、全くできないのです。
最初は話しかけてくれても、次第におかしな人と思われてしまい、孤立するのです。
自分では普通に振る舞っているつもりでも、健常者から見れば異常な行動やコミュニケーションだと思われてしまうのです。
全ての発達障害ASDの人が、友達や知り合いを作ることが出来ない訳ではありません。
周囲の理解やサポート、運が良ければ対人関係は多少構築できると思われます。
私の場合は、自分がASDとわかっておらず学校、社会において集団生活を送った結果です。
健常者が普通にしているだけで、友達や知り合い関係を構築できることは、発達障害ASDにとって嫉妬・羨望を感じてしまうのです。
彼氏彼女・恋人関係ができる
健常者でも異性の関係性が出来ない人はいます。
それでも大体数の一般人は、恋愛を1度はしたことがあるのではないでしょうか。
発達障害・ASDの場合、特性により恋愛が出来ない・恋人が作るのが難しくなります。
内閣府の調査によると、精神障害の81%は結婚していないデータがあります。
また、精神障害の約64%が配偶者がいないとされています。
健常者の配偶者がいない割合は約26%です。
精神障害は発達障害だけでなく、鬱病や統合失調症、何かの依存症なども含まれます。
ただ、発達障害は恋愛に必須のコミュニケーションに難があり、恋愛自体が上手くいかない為、このデータの大部分を占めていると思われます。
たとえ発達障害ASDの人が恋愛できたとしても、上手くいかない傾向があり、結婚までたどり着けないのです。
発達障害・自閉症は恋愛できない!?難易度が高くて無理・諦める!
健常者が普通に恋愛して、異性との交流を楽しんでいる状態に、発達障害の人は嫉妬すると思います。
勉強ができる
発達障害・自閉症ASDの人は、得意・不得意科目がはっきりしています。
また、学習障害(LD)があると、特定の学習が困難になります。
勉強は、親の遺伝による頭の良さ(IQ)によって出来がきまっています。
また、8歳くらいまでの親の教育によってIQの値は異なります。
発達障害ASDの人もIQによって異なりますが、自分の興味のある科目以外、極端に苦手意識がある・もしくはできないのです。
また、ASDは知覚統合が低く、美術や芸術関係が苦手すぎます。
想像力が欠如しているので、頭の中で考えたり、発想力も極端に欠如しています。
「努力すればできるようになる」ではなくて、「努力しても不可能」なのです。
一ミリも成長しない訳ではないですが、普通のレベルには到達できないのです。
健常者も勉強が苦手だったり、苦手な科目はあると思います。
しかし、発達障害の人の場合、圧倒的に出来ない・ほぼ不可能な状態なのです。
努力次第である程度できるようになる普通の人が羨ましいと思ってしまいます。
コミュニケーション能力がある
発達障害の人は、普通に会話できる健常者を羨ましいと思っています。
どうして、何気ない会話や一般的なコミュニケーションが取れるのだろうかと常々思っています。
発達障害・自閉症ASDの場合、自分の思ったことや感じたことの1つをそのまま言ってしまいます。
その場の雰囲気に適した言葉や、空気を読むと言ったことが出来ないので、「変な人」になってしまうのです。
特に、コミュニケーション能力が必要となる学校や会社において、絶対に基地外扱いされます。
集団生活の中で普通に会話が出来ないだけで、はじかれてしまうのです。
大多数の健常者に備わっている普通のコミュニケーション能力が凄く羨ましく感じるのです。
集団での適応力がある
発達障害ASDの人は、学校や社会、何かの集まりなどにおいて浮いてしまいます。
これはコミュニケーション能力が著しく劣っていることや、その場に適した行動が出来ないからです。
ASDは一般的な規則や規律を守ることはできます。
しかし集団生活において、自分で考えたり、自主性が求められてしまうと、途端にできなくなってしまいます。
全て想像力の欠如が原因です。
ASDのコミュニケーション能力に加えて、自分の立ち位置を構築することが難しく、集団生活が非常に苦手なのです。
発達障害ASDの人を健常者と一緒に集団生活の中に放り込むと、大変なことになります。
ASDへの理解やサポートがあればいいのですが、自他ともに何も無いと絶対に孤立し、人生が崩壊します。
ASDの私が一番、健常者を羨んでいるのがコミュ力、そして集団適応能力です。
現代社会において絶対に必要なこの能力が発達障害ASDには備わっておらず、人生が上手くいかない原因となっているからです。
嫉妬心が薄い原因
健常者に対して発達障害の人が嫉妬する理由をいろいろと書いてきました。
しかし、実際に発達障害の人が普通の人(定型発達)に嫉妬している可能性は低いです。
ASDの私自身も健常者に対して、普通が羨ましいと思う気持ちはあります。
しかし、その思いは、普通の嫉妬の十分の一も無いです。
学生時代はイジメられて孤立しており、友達もいませんでした。
社会人になってからも同様に、一般人とはかけ離れた酷い状態でした。
しかし、それが自分の中の普通であり、何が本当の状態なのかわかってはいません。
そもそも普通とは何なのだろうかと、思い浮かぶことすらできないのです。
健常者を羨む気持ちすら想像力の欠如から、ほとんど湧いてこないのです。
また、発達障害に生まれたのは運命や宿命のようなものであり、諦めているからだと思われます。
「仕方がない」の一言で片づけてしまっています。
発達障害の人が健常者を羨む気持ちが薄いのは「自己分析が出来ていない」からだと思います。
自分の状態がどれだけ健常者と違い、酷い状態なのか。
発達障害のせいで、普通の人とは違う日常生活を送れていない状態を理解できていないのです。
自分の脳の凹凸や未発達が原因で、普通の人のように出来ない状態がわかっていません。
逆に本人が「発達障害は生まれついての脳のハンデ」だと気づくと、親や環境に不満が向けられます。
そして、健常者への嫉妬心は多少強くなると思われます。
まとめ
発達障害の人が健常者を嫉妬してしまうのは、普通の生活が羨ましいからです。
日本では普通ではない状態の人を区別してしまう傾向があります。
発達障害の影響で、普通が出来ない為、特別扱いされてしまう対象になってしまうのです。
発達障害の人は、生まれた時点で人並みの人生を歩むことがほぼできません。
一般的な学生生活、恋愛、仕事など、望んでも難しくなってしまうのです。
その為、普通ができる大多数の一般人が羨ましいのです。
もし自分が発達障害に生まれておらず、普通の人と同じような脳機能だったら人生はどうなっていたのだろう。
と、たまに考えることがあります。
もし一度、人として生まれたら、もう2度とチャンスが無いのであれば、これほど悲惨なことはないと思います。
発達障害に生まれた時点で、人生が終わっていたのに。
発達障害の人は、次は健常者の脳に生まれるチャンスを貰えてもいいと思います。