私は発達障害のアスペルガー(ASD)の当事者ですが、精神年齢が物凄く低いです。
当時は全く気づいていませんでしたが、学生時代は明らかに3~5歳くらいの幼かったと確信しています。
周囲の人との会話にほとんどついていけなかったし、考え方が明らかに幼稚でした。
そもそも、asdの影響からすぐに人から嫌われたり、避けられる特性はありました。
しかし、その根底には精神年齢の低さからコミュニケーションの幼さ、幼稚な言動から、人から関わりたくないと思われていたのです。
そして、幼稚すぎる知能、精神年齢の低さから、中学時代はイジメのターゲットにされていました。
特にイジメが酷かったのが中学3年生の頃です。
15歳の中に11歳くらいの知能、そしてasdの脳機能異常を抱えていれば、それも仕方が無いのかもしれません。
そもそも精神年齢と発達障害に関係性はあるのでしょうか。
一般的にはそのような事実はないとされています。
精神年齢は、発達障害ではなく、知能指数に関係しています。
知能指数(IQ)とは、精神年齢を実際の年齢で割って100をかけたものです。
例えば、10歳の子の精神年齢が6歳だとします。
すると、この子のIQは、106×100=60
となります。
したがって、IQは精神年齢と実際の年齢の比で決まるということです。
ちなみに私のIQは70以下です。
これは30代後半に判明した数値です。
中学3年の頃にその数値であれば、15歳の中に10.5歳の小学4~5年が混じっている感じです。
私の子供の頃は、もっと知能が低く、幼かったと確信しています。
いくら勉強しても学習する知能がありませんでした。
結果、県最低の偏差値38以下の高校しか行けませんでした。
当時は発達障害という言葉が全く無い時代でしたが、それを差し引いても物凄く生き辛さを感じていました。
知能指数の低さに加え、さらに発達障害asdの「考え方の変さ」や「想像力の欠如」が精神年齢の低さを助長していたと思います。
今回は、発達障害の精神年齢が低い理由や、大人になっても変わらず幼い思考のままの理由を考察していきたいと思います。
発達障害の人の精神年齢が低いと考えられる根拠
発達障害の人は、一般的には知的障害とは異なり、知能は正常範囲内にあるとされています。
しかし、なぜか精神年齢が低く見られたり、子どもっぽい言動をしたりすることがあります。
これはどうしてなのでしょうか?
社会性の発達が遅れている
発達障害の人は、社会性の発達が遅れていることがあります。
社会性とは、人とのコミュニケーションや関係性を築く能力のことです。
社会性の発達は、生まれてから幼児期、児童期、青年期と段階的に進んでいきます。
しかし、発達障害の人は、この過程で何らかの障害が起こり、社会性の発達が停滞したり、逆戻りしたりすることがあります。
例えば、自閉症スペクトラム障害(ASD)の人は、他人の感情や意図を読み取ることが苦手で、目を見て話すことや、相手に合わせて話題を変えることができません。
注意欠陥多動性障害(ADHD)の人は、集中力や自制力が低く、衝動的に行動したり、話し過ぎたり、話を聞かなかったりします。
学習障害(LD)の人は、言語や計算などの学習に困難があり、学校でついていけなかったり、友達との会話につまずいたりします。
これらの特徴は、学校や社会的な場面で不適切に見られたり、周囲との摩擦を生んだりすることがあります。
その結果、発達障害の人は、社会的な成熟度が低いと判断されたり、自分自身もそう感じたりすることがあるのです。
興味や趣味が幼いままだから
発達障害の人は、興味や趣味が幼いままであることが多くあります。
興味や趣味とは、自分が好きなことや楽しいと感じることです。
興味や趣味は、人によって様々ですが、一般的には、年齢に応じて変化していくと思います。
例えば、幼児期には玩具や絵本に興味がある人が多いですが、児童期にはゲームやアニメに興味が移る人もいます。
青年期には、恋愛やファッションに興味が出る人が多いです。
しかし、発達障害の人は、このような年齢に応じた興味や趣味の変化が起こらないことがあります。
例えば、ASDの人は、特定の分野や物に強い興味を持ち、それに没頭することがあります。
この興味は、一般的には子どもが好むものであることが多く、例えば、恐竜や宇宙や電車などです。
ADHDの人は、刺激的なことや新しいことに興味を持ち、それに飛びつくことがあります。
この興味は、一般的には子どもが好むものであることが多く、例えば、アクションゲームやスポーツや冒険などです。
LDの人は、学習に苦手な分野があるため、それを避けて、自分が得意な分野や楽しいと感じる分野に興味を持つことがあります。
これは、一般的には子どもが好むものであることが多く、例えば、絵や音楽や工作などです。
上記の特徴は、興味や趣味が幼いままであると見られたり、自分自身もそう感じたりすることがあるのです。
自立や責任が伴わない生活をしている
発達障害の人は、自立や責任が伴わない生活をしていることがあります。
自立や責任とは、自分のことは自分でできるようになり、自分の行動や選択に対して責任を持つことのことです。
自立や責任は、生まれてから成人になるまでに段階的に身につけていくものです。
しかし、発達障害の人は、この過程で何らかの障害が起こり、自立や責任が伴わない生活をしてしまうことがあるのです。
例えば、ASDの人は、日常生活のルーティンや変化に対応できなかったり、自分の感情や欲求をコントロールできなかったりすることがあります。
そのため、家族や支援者に頼りがちになったり、自分のやりたいことだけをやったりすることがあります。
ADHDの人は、計画性や組織性が低く、物事を先延ばしにしたり、忘れたり、失敗したりすることがあります。
そのため、仕事や勉強についていけなかったり、金銭や時間の管理に困ったりすることがあります。
LDの人は、学習に苦手な分野があるため、それに対して劣等感や挫折感を抱いたり、避けたりすることがあります。
そのため、学歴や職歴が低かったり、自信や目標が持てなかったりすることがあります。
以上の理由から、発達障害の人が知能に問題がなくても精神年齢が低くみられるのです。
発達障害の人は大人になっても幼い思考になってしまう理由
発達障害の人は、自分の感覚や価値観が他人と違うことに気づかないことが多くあります。
感覚や価値観とは、自分が何を感じたり、何を大切にしたりするかのことです。
感覚や価値観は、人によって様々ですが、一般的には、社会や文化の影響を受けて形成されていきます。
例えば、日本では、礼儀やマナーを重んじたり、他人に迷惑をかけないようにしたりすることが、感覚や価値観として共有されています。
しかし、発達障害の人は、このような社会や文化の影響を受けにくいことがあります。
例えば、ASDの人は、自分の興味や感情に従って行動することがあります。
ADHDの人は、自分の衝動や欲求に従って行動することがあります。
LDの人は、自分の得意や楽しいことに従って行動することがあります。
これらの特徴は、自分の感覚や価値観が他人と違うことに気づかなかったり、気にしなかったりすることがあります。
その結果、発達障害の人は、大人になっても幼い思考になってしまうことがあるのです。
自分の能力や限界を正しく認識できない
発達障害の人は、自分の能力や限界を正しく認識できないことがあります。
自己分析をしたり、自分の状態を把握することが苦手だからです。
能力や限界は、人によって様々ですが、一般的には、経験や学習によって把握していきます。
例えば、自転車に乗れるかどうかは、自転車に乗ってみることで分かります。
しかし、発達障害の人は、このような経験や学習が不足したり、歪んだりすることがあります。
例えば、ASDの人は、自分の興味のある分野では高い能力を発揮することがありますが、自分の興味のない分野では低い能力を示すことがあります。
そのため、自分の能力が一定でないことに気づかなかったり、過信したり、過小評価したりすることがあります。
ADHDの人は、自分の集中力や自制力が低いことに気づかなかったり、気にしなかったりすることがあります。
そして、自分の限界を超えて挑戦したり、逆に挑戦しなかったりすることがあります。
LDの人は、自分の学習に苦手な分野があることに気づかなかったり、気にしなかったりすることがあります。
そのため、自分の能力を発揮できなかったり、逆に発揮しすぎたりすることがあります。
これらの特徴は、自分の能力や限界を正しく認識できないことがあります。
その結果、発達障害の人は、大人になっても幼い思考になってしまうと思われるのです。
発達障害の実年齢は7割程度・もしくは3分の2説
発達障害の実年齢は7割程度・もしくは3分の2説という考え方があります。
これは、発達障害の人の精神年齢は、実際の年齢の7割程度・もしくは3分の2に相当するというものです。
例えば、20歳の発達障害の人は、14歳や13歳くらいの精神年齢と考えられます。
しかし、この説は、科学的に証明されたものではありません。
調べてみると、「発達障害の人には、精神年齢が3割低い、もしくは年齢の3分の2程度と思って接した方が良い」という医師側のアドバスあったからだそうです。
確かに、発達障害の人と健常者が同じ年齢・同じIQだとして接しても、明らかに発達障害の人の方が大変です。
発達障害の特性によるコミュニケーションや社会性の欠如から、会話や何かの説明など、より詳しく、明確に言葉しないと伝わらないことがあるからです。
発達障害のその人の年齢よりも、3割幼い年齢だと思って接することで、上手く対話が出来ると言う説なのです。
発達障害の人は、一概に同じ精神年齢とは言えません。発達障害の人にも、強いところや弱いところがあります。
発達障害の人の精神年齢は、一つの目安として考えることができますが、絶対的なものではありません。
この説を信じることで、発達障害の人に対する偏見や差別が生じないように注意しなければなりません。
発達障害の人の個性や能力を尊重し、一人一人に合わせた支援を提供することが重要です。
まとめ
発達障害の精神年齢が低い理由や、大人になっても変わらず幼い思考のままの理由を考察しました。
発達障害の人は、発達段階や行動特性から、実年齢よりも低い精神年齢と見なされることがあります。
また、発達障害の人は、自分の成長や変化に気づきにくいこと。
周りの人や社会の期待に合わせることが難しいことから、大人になっても幼い思考になってしまうことがあります。
私自身は発達障害のアスペルガー(ASD)ですが、自他ともに精神年齢が低すぎると思います。
全IQ60台というのもあります。
しかし、それ以前に明らかに発達障害の特性が影響していると思っています。
特に、自分が思ったことが正しいと思ってしまう。
そして、躊躇なくその思いを話したり、実行してしまいます。
それが、どれだけ幼稚であったとしてもです。
特に思考が浅く、考えが子供じみていると自分で感じています。
大人の考え方が出来ないのです。
発達障害asdの社会性の無さの影響でしょうか。
とにかく、普通にすることが意識していても難しく、言葉や行動が幼くなってしまうのは実感しています。
大人になった今でも、下手したら中学生くらいの思考で止まっていると感じています…。
発達障害の当事者として、拝読いたしました。
感想なのですが、「精神年齢」という言葉は心理学に由来する元々の意味と俗語的な用法があります。記事中ではその二つをごっちゃにしていないでしょうか。これは辞書を引くとよくわかります(俗語的な用法が載っていない場合がありますが・・・。)
知能検査の測定値に基づき、被験者の発達の程度を年齢尺度で表したものが心理学における本来の「精神年齢」です。ビネー式知能検査という児童に対する知能検査の中で最初に用いられ、基本的には児童に使用する概念です。
一方で、俗語的な「精神年齢」は性格や言動がどのくらいの年齢であるかを指したもので、どの年齢の人にも使います。上記の心理学的な概念を誤用したものです。恐らく、mental ageを「知能年齢」ではなく「精神年齢」と訳したことでこの誤解が生じたのでしょう。「Aさんが精神的に成長した」といったら、「頭がよくなった」ではなくて、「言動が成長した」という風に解釈しますもんね。
知的障碍者の中には発達障害を伴う人も少なくないので、心理学的な本来の「精神年齢」が低い発達障害者の児童は決して少なくありません。ただ、発達障害の人が「精神年齢」が低いといわれるのはほぼ俗語的な用法の方を指します。
なんか、記事の前半で知能検査に言及しているときには心理学的な意味で書かれているのですが、後半は俗語的な用法で述べられております。両者は似て非なるものなので、そこははっきりさせた方がよいでしょう。まあ、発達障害の関連の文献を読んでいたら、どっちかわからなくなることがあるのですが・・・。
コメントありがとうございます。
ご指摘の「精神年齢」という用語について、心理学的な意味合いと一般的な使われ方の違いを明確にする必要があるというご意見、大変参考になります。
このブログ記事では、私基準(WAIS-IIIでIQ70以下)で、過去の経験から「精神年齢の低さ」を考察してしまいました。
発達障害のASDの特性からくる直感的な発言や幼い行動は俗語的な「精神年齢」なのですね。
心理学における「精神年齢」である、知能検査の結果に基づくものであり、記事の中で混同してしまった可能性があります。
今後はこの二つの概念を混同しないように気を付けたいと思います。