
ニトリ会長が74歳で発達障害と診断されたというニュースを見ました。
本人はそれまでずっと感じていた「なぜ自分だけできないのか」という疑問が、ようやくつながったそうです。
この話を見てまず思ったのは、70代で発達障害がわかるということにどんな意味があるのだろう、ということです。
若い頃に発達障害が判明していれば、もっといい人生になったかもしれない。
でも、人生の終盤でそれがわかっても…。
ニトリ会長のように、圧倒的成功者であればポジティブに受け止められます。
でも、平均以下の人生だった場合、70代でわかっても余計に苦しい気持ちになると思うのです。
「なぜ自分だけ普通にできないのか」と悩み続けてきた理由が、「脳の特性だった」と分かります。
そして、自分の責任ではない、という少し救われるような気持ちにはなると思います。
でもやっぱり、なんで今なんだろう、もっと早く知りたかった、と感じてしまうはずです。
若い頃にわかるのと、70代でわかるのは何が違うのか
もう本当に、発達障害と判明するのは年齢が低いほど絶対的に人生において不利にはなりづらいということです。
集団での調和が大切にされる日本において、発達障害があると上手くいかない。(特にASD)
それがずっと続いて、人生の終盤になるまで気づけなかった。
もちろん、上手くいく人もいるけど、失敗する人の方が圧倒的に高くなってしまう悲しい事実。
70代で今更分かったところで、遅すぎる。
でも、ニトリ会長のように、物凄い成功者もいる。
この違いは何なのだろう。
いつも私が感じているのは絶対的にIQの差だということ。
発達障害があろうがなかろうが、IQが高ければ必然的に人生の成功確率が高くなると思っているから。
それほどまでに理解力の差による、あらゆる人生における優位性が全く異なるから。
本当に様々な場面、例えば仕事の理解速度、人間関係の察し方、脳疲労、精神年齢など。
でも発達障害の人の場合、どれかに特化した能力があったり、得意分野に進めるとIQ値に関係なく(もちろん最低でも平均くらいは欲しい)上手くいく人もいる。
ニトリ会長の場合、勉強は苦手で成績も良くなかったとインタビューで答えています。
ADHD的な不注意で忘れ物が多いし、「ダメ社長」と自称するレベル。
しかし実際は、
・ビジネス判断力(超長期戦略)
・改善思考(ニトリの仕組み化)
・執念・継続力
などの能力がすごく高く、ギフテッドのようになっていたのではないかと思うのです。
そう考えないと、あれほどの大きい会社の会長で、あそこまでの結果を出せる理由が説明できない。
勉強ができる人とは少し違うけど、どこかの能力が極端に高かった。
それがたまたま、社会と噛み合った。
ただそれだけのことなのかもしれないです。
でも逆に言えば、同じような特性を持っていても、その能力がうまくハマる場所に行けなければ、ずっと「うまくいかない人」のまま終わってしまう可能性もある。
これが発達障害の残酷なところ。
ニトリ会長は70代で発達障害が判明したけど、もし子供の頃に発達障害がわかって、早期のサポートを受けていたらどうなっていたのだろう。
物凄く気になります。
少なくともニトリ会長は子供のころからADHDのよくある問題にぶつかって、自己肯定感は低かったはず。
いや、もしかしてお金持ちの生まれだったから、そんなことは無かった?
調べてみると、「クラスで一番貧しいレベルだった」、「いじめも受けていた」、「食事もかなり質素だった」となっています。
そして、「貧乏だった経験」が本人の価値観に強く影響したとのことです。
これは何だろう。
私と似たように貧乏、虐めにあっていた、いや私の方が変わった苗字や浮気、ゴミ屋敷、精神の異常な弱さの遺伝、超赤面症、そして環境、軽度知的障害のIQ、運の異常な悪さなどがあった。
でも、圧倒的に辛すぎる家庭環境で育ったのに、なんで成功者になれた?
おかしい。
突然変異?
0.01%以下の成功者?
強運の持ち主?
人生の選択肢のミスをしなかった?
時代の違い?
いや、もしかしたらメンタルお化けだったのかもしれない。
普通とはかけ離れた辛い境遇、さらに発達障害のADHDのハンデがありながらも、反骨芯が物凄かった。
「貧乏から脱出して絶対に成功者になる」、といったような思いが子供の頃からあったのでしょうか。
そう考えないと、理論的にありえない。
努力ではどうにもならない部分と、環境によって大きく左右される部分。
そしてその両方が重なったときに、「成功者」と「そうでない人」が分かれていきます。
ニトリ会長はどちらも持たざるものだった。でも成功した。
もしかしたら、本人の中に「普通じゃ折れない何か」があったのかもしれない。
何度失敗しても、何度うまくいかなくても、それでも続けてしまう。
やめるという選択肢が、そもそもなかった。
継続性と、発達障害のハマれば異常なほど強い能力の何かがかみ合って、大成したのでしょうか。
でも逆に考えると、このような最底辺の境遇でさらに発達障害があっても、自分の特徴にマッチして運よく事が運べば、ニトリ会長のようにとはいかないまでも、普通の人並みにはなれるのだという希望が見えた気がします。
まとめ
今回のニトリ会長が74歳で発達障害に気付いたニュースを見て感じたのは、運命に愛されている人がいるということです。
70年前は、発達障害という概念そのものがほとんど知られていませんでした。
特にADHDの場合、忘れ物が多い、集中力が続かない、同じミスを繰り返してしまうといった行動が目立ちやすくなります。
そんな環境の中で長い時間を過ごしてきた人が多かったはずです。
70代で発達障害が判明して人生をポジティブに振り返れるのは、ある程度成功した道を進めたからです。
ほとんどの高齢者が、自分が発達障害とわかっても「今更どうすればいいんだろう」とネガティブにとらえてしまうと思います。
でも、長年抱えてきた「なぜ自分だけできないのか」という違和感に答えが出ること。
それだけでも、自分の人生を少し肯定できるようになるのかもしれないです。
サポートも理解もない時代で、さらに生まれのレベルの低さ、環境の悪さなどがありながらも、ニトリ会長のように成功したのは、強運と発達障害の強みが発揮された、突然変異的な何か、もしくは軽度の発達障害だったのかもしれない。
ニトリ会長のようなケースは、能力・環境・継続力、そして運など、いろいろな要素が重なった結果だと思います。
誰でも再現できるものではない、かなり特殊な例でしょう。
それでも今回の話から見えたのは、どんな境遇でも、どこかで自分の特性がハマる可能性はゼロではない、ということ。
成功できるかどうかはわからない。
でも、自分を少し理解して、少し受け入れることはできるかもしれない。
そしてそれは、何歳からでも遅すぎるということはないのだと思います。
