NHKテレビ「インタビュー ここから」
武田双雲さんの特集番組を
見てみました。
私は武田双雲さんをまったく知らず、
ただ発達障害を公表した有名人くらい
の印象でした。
しかし、この番組を見て、
あまりにも「凄すぎる人」という
印象を受けました。
ADHDの特性で苦労しているけど
それ以上の恩恵を受けていると
感じました。
また、遺伝による圧倒的な能力にも
驚かされました。
今回は、「インタビュー ここから」
で放送された武田双雲さんについて
書いていきたいと思います。
武田双雲とは?
武田双雲さんは、競輪専門誌の記者の父と
書道家の母の、専門的な職業の能力を
もつ親から生まれました。
両親共に文系の能力に秀でていると
思います。
今回のインタビューを見て
感じたことがあります。
武田双雲さんは書道家の母の影響で
子供の頃から字へのこだわりがあり、
能力が開花して現在の強みになりました。
しかし、それ以上にインタビューでの
受け答えや、仕草、コミュニケーション
能力が異次元であると感じました。
これは、記者の父の遺伝による
言語能力の発達が凄いのだと思います。
そして、ADHDの人の長所である、
想像力、空想力、感じ方などによって
面白い、楽しい人という印象をうけました。
親の優秀な遺伝を受け継いで
能力が開花していると思います。
ADHDの特性による困難さもあるけど
それ以上にギフトのような
圧倒的な想像力、知力がある人だと
感じました。
武田双雲さんは子供の頃を振り返ると、
衝動性や多動性の影響から、
小中学校時代は友達が全くいない人
だったそうです。
思い付きで勝手に体が行動してしまうため
空気が読めず、孤独感を味わっていました。
子供の頃は、好奇心が止まらず、
衝動も抑えられないので、
身体の骨を折ってしまうことが
よくあったそうです。
母親は、武田双雲さん専用の
松葉づえを買うくらいの
骨折りの常習犯だったそうです。
初めての郵便局のアルバイトでは、
20分で首になったそうです。
ADHDの衝動性の影響で、
葉書に書かれた個性ある漢字に
見惚れてしまい、
仕分け作業が上手くできませんでした。
元から字に対する興味が強く、
何度も文字を凝視してしまい、
担当官から「君辞めるか」といわれて
しまったそうです。
部活では、
体格の良さから期待されていました。
しかし、ADHDの多動性/衝動性から
雲が気になったり、
土の感触に意識をもっていかれたりして
うまく行かなかったそうです。
それでも自己肯定感や自尊心は
失われなかったといいます。
理由は、両親の素晴らしい
教育方針のお陰です。
武田双雲さんの子供の頃は、
発達障害の概念がなく、
ただ、普通の人と違う子、
変わった子扱いだったと思います。
武田双雲さんがADHDと
判明したのは2年前のようです。
現在43歳ですから、
40歳前後だと思います。
武田双雲さんの両親は、
まったく叱ったり、怒ることは
しなかったそうです。
武田双雲さんが何かすると
「凄く感動してくれる」
親だったそうです。
また、他の子と一切比べることはせず、
「成績も聞かれたことはない」
「比較級の言葉はない」
「将来のことも聞かない」
常に感動して褒めてくれる
親の接し方、教育方針だったそうです。
凄すぎると思います。
武田双雲さんの親は、子どもが
普通の人と違う、出来ないことが多い
と理解した上で、
そのような行動、振る舞いをしました。
普通の親であれば、周りの人と同じように
できないことを、出来るように、
普通になるように躾けると思います。
まして、発達障害の概念がない
時代に、褒める、肯定してあげる
など、今の発達障害の子どもに必要な
対応の仕方を理解していました。
発達障害の子どもに対する理想的な
接し方だと思います。
武田双雲さんは、当時の親の対応を
振りかえって、
「ちゃんとしなさい」と
普通の人と同じ行動を求められていたら
「地獄」をイメージしたといいます。
頑張ってもADHDの特性で
ちゃんとすることができない。
我慢することができず、
今の自己肯定感がある大人には
なっていなかったと思います。
武田双雲さんは大学を卒業後、
通信会社に入社しました。
しかし、ADHDの特性の影響で
会議で怒られたり、会社で上手くいかず
2年で退職しました。
その後、ストリートで17年書道を
続けながら、現在の有名な書道家の
立場になったそうです。
発達障害を公表後の変化
武田双雲さんが発達障害を公表した理由は、
「隠すとか公表がなくて、感動してしまった」
「ADHDという言葉の枠に同じ症状がある、
パターンなんだって思ったとき、
(ADHDという)説明書のお陰で
凄い楽になった」
といいます。
いつもできない自分が悪いのではないか、
(親のお陰で)自己肯定感はあるけど、
何でいつもできなかったのか。
(ADHDと判明して)自分のせいではない
生まれつきの特性だと思ったら、
気持ちが凄く楽になったそうです。
「かっこつけなくていい」
「ありのままの自分で、
だらしない自分でもいい」と思ったとき、
すーっっと肩の荷が下りた、といいます。
私も、今まで普通に出来なかった
理由(発達障害)がわかったとき、
「仕方がなかったんだ」と思いました。
親を恨むとか、怒りの感情は
当時発覚したときはなかったと思います。
ただ、先天性の脳の問題が理由で
酷い人生を歩んできたと思うと辛いです。
子供の頃に自己肯定感が育たなかったことが
原因だとは思います。
武田双雲さんが発達障害を公表後の
デメリットは特にないそうです。
基本的に衝動的だから、
ご飯が美味しかったら、うまい!
と叫ぶような感じ。
公表したことによって
自分が楽になった!どう!?と
世界中に言いたかった、といいます。
公表後の作品の影響は、
「より自由に、書道家とか双雲とか衝動が
もっと透明になっていく感覚」
「作品が気持ちよく書けるようになり、
解放された気分」
今までは、
「しっかりとしなくてはいけない、
プレッシャーや制御感」があった。
公表したことで、「たかが外れた」
といいます。
有名になればなるほど、
書道作品の創作へのプレッシャーは
高まると思います。
ADHDの特性により、失敗も
多かったと思います。
有名人の場合は、
発達障害を公表することのリスクも
あるとは思います。
それでも周囲の人に特性を知ってもらう
ことで、気持ちの変化や充実感を
たくさん得られるのだと思いました。
武田双雲さんの発達障害公表後は、
書道作品が変わってきました。
プレッシャーから解放され、
今では自由なアート的な作品スタイルに
なっています。
テレビでは「楽」という字に
はまった様子がありました。
「楽」をイメージして、手で直接
色を付けて風景を出しています。
もはや書道ではなく、完全な絵の作品
となっていました。
ここ半年で、100枚近くアート作品を
作ったそうです。
書道だけにとらわれず、
ADHDの空想力の強みのある
自由な発想で、個性溢れる作品と
なっていました。
書道教室も主催されており、
子供たちに、独自の教え方で発想力を
鍛えるような指導もされていました。
まとめ
私はこの番組を通じて
武田双雲さんの凄さを感じました。
文章ではうまく伝えられなかったのですが、
人生の成功者である理由が
わかりました。
発達障害(ADHD)ではあるけど、
明らかに定型発達の人よりも
知能、想像力、行動力、コミュニケーション
などが、ずば抜けています。圧倒的です。
ADHDによる困り感はありますが、
それ以上に親の遺伝による能力の高さ、
発達の凹凸の良さが最大限発揮されている
と感じました。
子供の頃の親の理解ある対応や、
ADHDの良い特性を上手く発揮できる
ことが、人生を成功する秘訣であると
思います。
ASD当事者として、ADHDの人の
思考力は常々羨ましいと思っています。
衝動性/多動性/注意欠陥の生きずらさは
大変だと思います。
でもそれ以上に、想像力やクリエイティブな
思考を尋常じゃないくらい持っている人が
います。
アイデアをたくさん思いつく発想力、
想像力豊かな思考、人とは違う感性をもつ
感情が羨ましいです。