
引きこもりや発達障害の人は、他責思考になりやすいのでしょうか。
少なくとも、自分自身を振り返ってみると、超他責思考だと気づきました。
主に父親のせいでこうなってしまったと、本気で思っているからです。
発達障害、IQの低さ、貧乏・浮気・家庭崩壊などの悲惨な子供時代。
そして、精神の異常な弱さの遺伝。
子どもの頃に一番つらかったのが、変わった苗字によって常に間違って呼ばれ、びくびくして赤面してしまう問題。
その結果として、虐め、ハブられ、自己肯定感が欠如した。
全て親のせい。
そして重度の引きこもりになる。
これは誰に責任があったのだろうと考えると、確かに自分で選んだ人生の選択ミスがかなりあったと思う。
でもそれも、発達障害と軽度知的障害のIQによるミス、要するに生まれつきの低能が問題だった。
どう考えても親の影響としか思えない。
逆に自分のせいだと考えられる要因は、ほとんど思い浮かばない。
強いて言えば、逃げないでリアルに踏みとどまる意思や決断ができなかった。
でも、気づかされてしまった。
あまりにも、社会(リアル)に向いていないということを。
いや、働くこと自体は、作業や自分の理解の出来る範囲であればできたはず。
でも、それ以上に必要な、人との交流が全くできない。
ずっと人から変に見られたり、嫌われたり、避けられてきて、それがずっと変わらない。
このようなことが常にあって、引きこもる前の時点で、もう限界で逃げたいと思っていたのかもしれない。
就職氷河期で4カ月で辞めてしまって、「もう人生終わったな」という意識がおぼろげにあったのを覚えています。
そして、すべての原因は8年前の発達障害と診断されたことでわかってしまった。
それが父親(ASD)からの遺伝と考えると、どうしても他責思考になってしまうのです。
この前の選挙で落選した議員が「ネットのデマで負けた」と言っていました。
それに対して、「他責思考すぎる」という批判が巻き起こっていました。
これも、自分が悪くなくて他の外部的要因で失敗したという言い訳です。
でも、私の他責思考とどう違うのだろう。
彼らの場合、知能が高く、裕福、普通の人とは一線を画す上流階級の生き物。
恵まれた環境で育ち、IQも高め、運も良い、挫折をあまり経験してこない、自己肯定感が高い人物像。
そのような人間が、想定外の問題(落選)に陥ると、受け入れづらく、他の人のせいにする。本当の原因は違っていたとしても。
そもそも、私とは前提条件があまりにも違いすぎる。
同じ「他責」に見えても、選択肢の数や、修正できた余地の大きさが違うからです。
彼らは自分で選べる選択肢がたくさんあった。
私の場合、選択肢がほとんど無く、運が良くない限り回避困難だった可能性が高い。
でも、これも他責思考。言い訳。
共通して言えるのは、他人のせいにすることで自分を守っている(肯定している)のだと思います。
自分が悪い、自分のせいにしてしまうと辛いから。
しかし、自責思考もバランスよく取り入れて、冷静に問題や解決策を模索しないとダメなのです。
でも、何が正しくて、どう考えればいいのでしょうか。
そこで今回は、引きこもり・発達障害に対する他責思考について考えてみたいと思います。
引きこもりと他責思考の関係性について
個人的に引きこもりの人は、他責思考になりやすいと思います。
引きこもりになる原因は人それぞれだけど、普通の人はそうなる前に対処できたり、自分なりの道を見つけている。
しかし引きこもりになる人は、遺伝による性格の問題や家庭環境など、何かしらのハンデがあった可能性が高い。
そしてそれは自分ではどうすることもできない、抗えない問題だった。
もちろん、人生はその時の選択によって変わるので、自分の選んだ考えがすべてであり、責任や結果もまた同様です。
でも、その選択肢を選ぶきっかけになる要因が他者による影響(親、環境、運など)が大きく関わっている。
どうして自分は過去にあのような選択をしてしまったのだろう、と考えることがあるけど、それも運命というか今までの体験によって左右されているから。
容姿、知能、育った環境、関わった人など、子供時代は自分では選択が難しい問題。
その影響から、メンタルが弱くなったり、普通の人よりも様々な問題が積み重なった結果、引きこもりになってしまった。
引きこもりの人は、過去を振り返って明らかに普通ではないハンデがあったと気づくはず。
だから、他責思考になる可能性は高いし、そうなってしまうのも仕方がない、と思いたいです。
他責思考にするのは楽だし、心の平穏の為にも必要なのですが、現実的に考えて嘆いても仕方がないのも事実です。
でも改善のしようがないし、解決できるなら引きこもりにはならない。
他責思考を続けたまま、引きこもり続けてしまうのではないでしょうか。
少なくとも私はそうなっています。
発達障害と他責思考について
私は発達障害と判明するまで、自己責任論が強かったと思う。
最底辺レベルの生まれではあったけど、それでも似たような環境で成功している人はいるし、引きこもりになっている人は稀。
頭が悪くても、時代が悪かったとしても、少なくともリアルで生きている人は大勢います。
運の悪さは自覚していたけど、もっと頑張れたとか、アルバイトでもいいから外で活動しなかった自分のせいだと思っていました。
しかし、発達障害と判明してからは、いろいろと繋がってしまった。
まず、父親が完全にASDの症状と当てはまっていたという事実。
家庭が崩壊したのその影響が大。
さらに、私にだけ発達障害や、精神の弱さなどが遺伝によるものだと気づいた。
過去を振り返ると、明らかに変な言動、思いついたことをそのまま言ってしまい、対人関係がボロボロになっていた。
聴覚過敏、数学以外の科目が全くできない、自分が正しいと思い込んでしまうなど、様々な発達障害による過去の問題が答え合わせできました。
今までの人生は発達障害のせいでボロボロになった。
否定できないし、自分では対処しようがない事実。
そして、全く発達障害と気づかずに生きてきた悲劇(時代のせい)。
他責思考になってしまうのも仕方がない、と言い訳したい。
自分の場合は極端すぎるのですが、一般的な発達障害の人の他責思考感はどうなのでしょうか。
発達障害がある人は、他責寄りの考えになりやすい場面は確かにあるようです。
でも無条件に発達障害=他責思考の人というわけではないです。
発達障害があっても、成功している有名人はいるし、高IQや育ちが上手くいっている人など、自己肯定感が高めの人は自責思考になりづらいはず。
人生の中で積み重なる「体験の質」が大きく影響しています。
でも発達障害がある人は、子どもの頃から無意識に不利な立場に置かれやすいです。
何で自分だけこうなってしまうのだろう、と経験してしまう人も多いはず。
今の時代は子供のころから発達障害かどうかが判明しやすいです。
でも、それでも受け入れても受け入れなくても、何かしらの普通ではない問題が起きるとやはり、他責(発達障害のせい)になりやすい傾向があるのは間違いないと思う。
まとめ
政治ニュースを目にしていて、今回選挙で落ちた政治家の「敗因はSNSのデマ」論の他責思考が気になって考えてみました。
彼らと私の他責思考の質の違いは、背景の重さが全く違うことです。
引きこもりや発達障害の人の場合、本当に不利な環境で傷つき続けた人の他責になります。
- 貧困
- 虐待
- 差別
- 教育機会の格差
- 親ガチャ
こういうのは努力論で消えないのです。
「環境が悪い」は事実。
このタイプの他責は、自己防衛として必要だから。
全部自分のせいにしたら壊れてしまいます。
環境は悪かった。これも明らかな事実。
でも未来の選択まで奪わせるかどうかは、別問題となります。
自分は何もできない、という考えに固定されると、そのまま引きずってしまうから。
政治家や裕福な人の甘やかされてきた人の他責は、世界が初めて思い通りじゃない、となったから。
プライドの防衛反応ともいわれています。
自分が正しいと思い込んでいたり、絶対の自信があるんだろうね。
| 項目 | 不利環境タイプ | 甘やかされタイプ |
|---|---|---|
| 他責の起点 | 現実の構造的不利 | 自己像の崩壊 |
| 主な感情 | 無力感・疲労 | 怒り・プライド傷 |
| 必要なこと | 回復と小さな主導権 | 現実受容と修正力 |
政治家のは「プライド保護型」。
発達障害・引きこもりは「生存防衛型」。
同じ他責思考でも、中身がまるで別物ということです。
発達障害や引きこもりの他責思考は、抗えない仕方がない問題が関係していたと認めて欲しい。
でも、他の人に言ったり気づいてもらっても、何の意味もない。
結局、結果だけが全てだから。
政治家がどれだけ事情を説明しても議員でなくなり、今後を考えなければならない。
引きこもり・発達障害も同様です。
他責思考で心の平穏を保つのは必要だと思うけど、やはり現実を直視して考えなければならない事実は残ってしまうのです。
