軽度知的障害の人ほど
人生で辛い思いをしている人は
いないのではないでしょうか。
いくら勉強しても
ほとんど理解できない。
難しいことが理解できない知能。
普通の人が普通にできることが
できない。
もしくは、何倍もの時間がかかる。
忍耐力、継続力、思考力など
全てにおいて、
普通の人の最低ライン。
辛うじて健常者の人のように
振る舞えるため、
理解やサポートが得ずらく、
絶望の人生を歩み続けます。
私は、30代後半になって受けた
WAIS-Ⅲ成人知能検査によって、
軽度知的障害が判明しました。
発達障害の検査だったので、
医師に直接、軽度知的障害とは
言われてはいません。
しかし、全IQ67の結果から
軽度知的障害のラインである
70以下です。
子どもの頃からいくら勉強しても
得意科目である数学以外は
偏差値40以下でした。
読解力がまったくないため、
数学も文章が混じった問題は、
ほとんど解けませんでした。
そのため、得意とはいっても
偏差値45前後です。
軽度知的障害の一番の辛さは、
頭の悪さです。
頭が悪いと、何をするにしても
役立たずですし、
まともな就職はほぼ無理だからです。
日常生活においても
計画性がなかったり、
ミスをたくさんする、
浅はかな考えからくる間違った行動
などがあります。
他にもコミュニケーションが
うまくとれなかったり、
イジメられるなど、
頭の悪さによって引き起こされる
さまざまな問題があるのです。
軽度知的障害の人は、
世の中の基本的な概念や一般常識が
辛うじて理解できるため、
普通の人と同じように適用しようと
頑張ります。
しかし、いくら努力しても、
普通の人の足元にしがみつける
範囲が限界です。
また、自分が何故上手くいかないのか
理解できず、過剰適応してしまいます。
精神に物凄く負担がかかってしまい、
鬱や不安症などの二次的問題も
抱えやすくなります。
努力しても「人生の全てにおいて、
何もかもが上手くいかない」
それが軽度知的障害なのです。
ですが、例外はあります。
運が物凄く良くて
環境や対人関係に恵まれている人。
親が裕福でお金に困らないなど。
しかし軽度知的障害として生まれた
人の親(家庭)は、貧乏だったり、
何かしらの問題を抱えている可能性が高いです。
軽度知的障害(IQ)は親の遺伝による
影響が強いからです。
もちろん環境の影響もあります。
脳に何かしらの怪我を負ったり、
不遇な環境で育つなどの
外部的要因があります。
しかし、それは稀です。
知能は親の遺伝がほとんどですので、
頭の悪い親からは頭の悪い子どもが、
頭の良い親からは優秀な子が生まれるのです。
ちなみに私の両親も頭が悪いです。
その結果、姉弟全員IQが低いです。
私の姉達は勉強を物凄く頑張っていましたが、
偏差値45の高校が限界でした。
私自身も偏差値40以下の高校であり、
大人になって判明したIQが67の
軽度知的障害です。
そして親も物凄く頭が悪くて貧乏、
他にもどうしようもない要素があり、
絶対に親になってはいけない人でした。
軽度知的障害に生まれるということは、
親にも問題がある可能性が高く、
子どもは悲惨な人生を送る可能性が
高いのです。
今回は、軽度知的障害者の人生の辛さや
子供~大人の頃の特徴について
お伝えしていきます。
軽度知的障害の人の人生の辛さ
軽度知的障害の人が
人生で絶望する理由は、
頭の悪さです。
複雑なことを理解するのが困難で、
簡単なことしか理解できません。
現代社会において、
頭が悪い(勉強ができない)と、
お金を稼ぐことができないのです。
昔は機械のオート―メーション化が
進んでいなかったり、
低賃金外国人労働者の受け入れは
あまりありませんでした。
知能が低くても、反復的な労働力の
需要はありました。
しかし、現在は他に委託したり、
作業の効率化が進み、
知能を必要としない労働力の
需要は低いのです。
たとえ就職できたとしても、
能力がなければ超低賃金労働を
強いられるのです。
大人の軽度知的障害者は、
微妙に支援対象から外れていたり、
本人自身が気付かずに、
最底辺の生活を送っています。
日本政府の調査によると、
知的障害のある80%以上の人が
年収120万円以下であり、
貧困層以下の暮らしを強いられています。
さらに約95%の知的障害者が
未婚なのです。
知的障害の約8割は、
軽度知的障害者です。
IQ70以下の(軽度)知的障害は、
日本全体で約2.2%です。
そのうち、精神障害手帳(療育手帳)を
保持している人は、6~7分の1です。
自分が軽度知的障害に気づかず、
劣悪な生活をし続けている人が多いのです。
頭が悪いということは、
自分自身の状況も理解しずらいですし、
サポートを求めることも難しいです。
また、軽度知的障害は理解や支援が
得ずらいため、等級の高い障害者年金や
手帳なども受けずらいのです。
そのため、いくら知能が低くても
普通の人と同じように
独力で頑張らなければならない、
酷すぎる現実があるのです。
軽度知的障害の子ども・大人の特徴
軽度知的障害の子どもは本当に悲惨です。
普通の人(健常者)とは明らかに知的に
差があるにも関わらず、
同じように学校生活を送り、
普通に適応することを求められるからです。
その結果、勉強ができずに苦労したり、
仲間外れにされたり、イジメられるなど、
クラスの最下層のカーストに追いやられます。
クラスで一番下の身分に
自他ともに自覚することで、
物凄い劣等感と自己肯定感の低下を招きます。
その結果、自傷してしまったり、
鬱や対人恐怖症、不安症、
不登校、引きこもりなどの
二次的問題を抱えてしまいます。
特に酷いのが中学生時代。
中学校は基本的に私立以外は、
知能指数の高低に関係なく
さまざまな人と一緒に生活します。
軽度知的障害の人は、
全体の2.2%と言われており、
40人のクラスに一人いるかいないかです。
その中の一人になることで、
周りから見下され、イジメられたり、
バカにされるターゲットになるのです。
他の健常者から見れば、
「あいつが一番クラスで劣っているから
(自分は)大丈夫」という意識になります。
当事者はそのことに薄々気づいていますが、
どうすることもできず、
スクールカーストの最底辺の位置で
苦しみ続けるのです。
全て私が体験したことです。
軽度知的障害者はギリギリで
普通に適応しているため、
理解やサポートが得られず、
自分で何とかするしかないのです。
軽度知的障害の大人も悲惨です。
頭が悪いため、資格がほとんど取れず、
得意なこともありません。
普通に就職が困難なため、
障害者枠での雇用が現実的です。
しかし、障害者枠は身体障害者の
雇用がほとんどです。
知的に問題がある精神障害者は、
まともに就職することはできません。
仮にできたとしても、
給料は激安で昇給の見込みはほとんど
ありません。
軽度知的障害の人でも努力や運で、
普通の会社に入れることもあります。
しかし、実際に仕事をすると
ミスを繰り返したり、
グループから孤立するなどの
問題が発生します。
周囲から冷たい目で見られたり、
上司からの叱責から、
退職に追い込まれるのです。
本人としては普通に仕事をして
評価されたいと思っていても、
能力の低さから上手くいかないのです。
一生懸命普通を演じようとしても、
知能の低さから何かしらの問題が発生し、
悲劇が起こるのです。
本人のせいではなく、
生まれついての頭の悪さが原因なため、
どうすることもできません。
まとめ
軽度知的障害の人は、
簡単なコミュニケーションであったり、
社会的な行動は普通にできます。
そのため、障害者という認識が
自他ともに薄く、苦労してしまうのです。
少しでも複雑な思考を必要とする物事に
直面すると、ほとんど理解できません。
自分でも何故、普通の人ができることが
理解できないのか、本当に苦しみます。
頭の悪さからくる「理解力の無さ」、
「気づき」や「思いつき」「多角的な思考」
ができないことが、
軽度知的障害の辛さなのです。
軽度知的障害の人は周囲から理解されずらく、
最悪な人生を歩み続けます。
普通の人が享受できる人生を
全うできないからです。
それどころか、最底辺をさまよい続ける
末路がほぼ決定しています。
何故、これほどまでに酷いハンデを
背負って生まれてこなければならないのか。
努力してもほとんど報われないという
酷い現実。
前世で何かあったのかどうかは
わかりませんが、報われなさすぎる
絶望感だけが軽度知的障害には
あるのです。
私の長年の友人が、軽度知的障害であると、最近気づきました。(40代)
電車に一人で乗れない。道を覚えられない。話がとんちんかん。気遣いができない。などの特徴があります。
若いころは「そういう人」だと思い、気遣いをしない性質は逆に楽でよかったのです。しかし、40代となると、一緒にいてイライラしてしまうようになりました。
私自身、発達障害があり(30過ぎで気づいた)、人間関係の難しさや仕事のつまらないミスで居場所をなくしてきました。
そういう私と軽度知的障害の友人は分かり合える部分が多かったのです。
しかし、私は友人を、下に見てきたことに気づきました。
自分よりもできない奴がいる。と思うことで、心の平安を保ってきたのだと思います。
お互いに伴侶も友達も作れないような人間です。しかし、もう終わりにしようと思います。
お互いに依存して、グダグダ愚痴を言い続けるのは、不毛だと気付きました。
まとまらないコメントになりましたが、この記事を読んで、私の中でも答えが出ました。
少しでも普通の人間に近づけるように、努力していきたいと思います。